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0.

 

きゃらきゃらと、懐かしく無邪気な少年の笑い声が耳に届いた。

そっと目を開ければそこはいつかの公園で、視線の先には噴水ではしゃぐふたりの少年がいる。一人はアルフレッド、一人はマシュー。まるで双子のように瓜二つだが、その実ふたりは兄弟ではなく従兄弟だ。とは言っても、ふたりの両親はそれぞれ多忙の身であり、アルフレッドとマシューが寂しくならないようにと一緒に住まわせているから、兄弟のような関係であるには違いない。

そして、当時13歳である7歳離れた親戚二人の保護者代わりを、成人したばかりではあったもののアーサーは務めていた。同居をしていたわけではないけれど、仕事がオフの日や終わった後は決まって駆けつけていたからほぼ一緒の時間を共に過ごしていたといっても過言ではない。

 

公園に弁当を持って出掛けるなんて、果たして中学一年生にもなる二人はそれで楽しいのだろうかとアーサーは不思議だったが、その日の休みにピクニックへ行きたいと申し出てきたのはアルフレッドだった。アルフレッドよりも主張が控えめで、いつも陰に隠れているマシューもその時ばかりは大きく首を縦に振って賛同していたから、一々深く考えるのはやめにした。それに、親にやって欲しかったことをアーサーに叶えてもらおうとしているのだとしたら、応えずにはいられまい。

「楽しいか?」

「楽しい! それに遊んだらお腹が空いたんだぞ」

木陰でその様子をぼんやりと見守っていたアーサーの元へ、アルフレッドが駆けてくる。その後ろをマシューが着いて走った。

「ははっ、それより水分補給が先だろ。ほら、紅茶淹れてきたから」

息を荒くして、頬まで紅潮させている二人へアーサーは笑いながら水筒の中身を差し出した。バスケットの内側には何とも言い難い混沌が広がっていたが、今この空間にアーサーの菓子へ文句を言う人間は存在しない。従って、この平和な空気が乱される要素もまた現在ここには存在し得ないのである。

「ああそうだ、サッカーボールを持ってきているからアーサーも遊ぼう」

「お前はいいんだろうが、マシューは」

「ぼ、僕もやりたいっ」

慌てて存在を主張するマシューに笑いかけ、休憩が終わるとその場を立つ。木漏れ日が降り注ぐ、そんな或る日の断片……。

1.

 

優しい微睡みの中で目覚めたアーサーは、習慣から部屋の時計を確認する。まだ夜が明けたばかりの時間で、家を出るまでに充分過ぎるほど余裕があった。

……アイドルユニット『アイランドル』として菊とデビューを果たしてから、早いことにもう3年の歳月を経ていた。ギルベルトが予感したように二人はぐんぐんと支持を集めていき、現在では絶大な人気を誇るユニットとして芸能界でも引っ張りだこの状態にある。目まぐるしいほど強烈な時間はあっという間に過ぎていき、まだその渦中で踊っているのだと思うと呆れるような、しかし菊とならそれも充実した今として駆け抜けられる。

 

それにしても懐かしい夢を見た、と再びアーサーは思い出に浸った。仄かな郷愁が寝室に漂い、気持ちに吊られるようにして机の前へ向かう。夜明けの温度がそうさせたのかもしれなかった。整った机上にはクッキー缶が大事そうに置かれており、箱を開ければそこにはクッキーの代わりに手紙が詰められていた。どれもアーサーへ宛てられた、マシューからの手紙である。

アイランドルが世間に公表され、身辺が落ち着いてきた頃にアーサーはアルフレッドとマシューの住む邸宅へ手紙を送った。今時手紙はおかしいだろうかと悩みながら、事情を説明するにはメールよりも直筆での近況報告の方がまだ温かいだろうと考えてそうした。返事はマシューから返ってきて、僕もアルフレッドも元気ですと始めそこには記されていた。それから手紙でのやり取りが始まり、返信は疎らであれ未だに途絶えていない。相変わらずアルフレッドから直接の連絡はないが、マシューから話を聞くことはできた。

「そうだ、今日は……」

声に出して呟く。今日は、アルフレッドと会うことになる。プライベートではなくて仕事の方で、である。そもそもの話、アルフレッドの父親はオールライドプロダクションの社長なのだ。容姿にもトーク術にも申し分のないアルフレッドが芸能界入りするだろうことは時間の問題であったから、何もおかしな話ではない。ただ気懸りなのは、番組での共演が決まったことをマシューに報告した時の返信だ。

「アルには気をつけてください、か……」

どういう意図で記したのかは見当もつかないが、一緒に暮らしているマシューが警告しているからには何か理由があるはずだ。やはり突然別れる形になったことをよく思っていないのだろうとアーサーは何度目かの心痛を覚えた。アルフレッドとどう向き合えばいいのかを考えあぐね、アーサーは重いため息を吐き出した。

 

 

「リハの時間に遅れるとはどういうことだ!」

ディレクターの激昂が聞こえ、スタジオ近くで菊とリハーサル前の確認をしていたアーサーは顔を上げた。あそこで何度も頭を下げているのはオールライドプロダクションの人間だろうか。

「遅れるのって話題の新人? あーあ、そりゃ調子乗ってるって怒られるでしょ」

「なんでも社長の息子らしいからな、大モノ気取ってんじゃないの?」

こそこそと若い二人の現場スタッフが言葉を交わし、上品とはとても言い難い笑い声をあげる。アーサーはムッとして、つい声を低くした。

「……おい」

「へ」

アーサーに呼び止められ、笑いあっていたスタッフはマズイという顔をして口元を引きつらせた。そんなことは御構い無しにアーサーは口を開く。

「遅れる側も遅れる側で、責任はある。だけどな、そんな風に陰口叩いていい理由にはならねぇよ……!」

「アーサーさん、落ち着いてください」

今にもスタッフに掴み掛かり兼ねないアーサーを菊は押し留め、硬直しているスタッフに向き直った。

「……言い方はキツイかもしれませんが、アーサーさんの話した通りだと思います。現場では、誰が聞いているか分かりませんので言葉には充分気をつけてくださいね」

「は……はい、すみません……」

菊はすごすごと去っていくスタッフから視線を外すと、アーサーの方を気遣うように窺う。歯痒そうに下唇を噛んだ後に菊の視線に気付いて、アーサーは苦笑いを浮かべた。

「フォロー助かった、本田。……ダメだな、俺も。これじゃ贔屓だって言われても嘘とは言えねぇ……」

「いいえ、今の対応は正解だったと思います。決して気持ちの良い会話ではありませんでしたから」

微笑みを返し、アーサーから聞いた話を菊は思い返していた。

今回の特番は生放送になっていて、リハが終われば後は撮り直しが効かない本番となる。そのゲストに選ばれたアルフレッド・F・ジョーンズなるルーキーは、アーサーと兄弟のような関係にあったという。けれど、件の失踪事件以降顔を合わせないできたばかりに、どういうコンタクトが交わされるのか予想がつかないのだ。このままアルフレッドが本番直前に現れるとなればぶっつけでの対面となるが、果たしてどうなるのだろうと菊もまたヒヤヒヤしてしまう。

「……ごちゃごちゃ後のこと考えるのも良くねぇな。リハーサル、アル抜きになると思うが、本番には間に合うだろ。悪いな本田、心配かけて」

「そう言わないでくださいよ。ユニットなんですから、困った時はお互い様です」

「本田……」

サンキュ、と照れた風に笑うアーサーに、菊もまた微笑んだ。

 

 

「アルフレッドさん到着した様です!」

本番直前となりスタジオ裏で待機していた二人にスタッフが慌てて伝えにきた。よかった、と胸を撫で下ろした所で本番開始を告げるカウントが始まり、思考を切り替える。

この先は、アイドルの仕事だ。

 

生放送といっても観客のいるステージとはまた違い、ゲストとのトークが中心な番組である。菊の淀みない司会進行と、アーサーの時折挟む皮肉技はお国柄の違いが垣間見えることから一般層にも受けが良く、更に今回の特番……生放送では最後に新曲を踊ることになっていて注目率も高いことが予測されていた。ゲストとのトークが主である番組で何故お披露目になったのかというと、次にアーサーとドラマで共演する相手がアルフレッドで、その主題歌を務めるのがアイランドルだからだ。つまり、これは次回録るドラマの宣伝でもあるのだ。

「……さて、今回のゲストさんはアーサーさんと共演が決まっていらっしゃるんだとか」

「ああ、それなんだがまだドラマ自体は顔合わせもしてないからな。こっちの都合に合わせて宣伝も早まっちまって……なんだそのカンペ、別にいいだろ、これくらい話そうが」

「生ですからねアーサーさん、ADさんへの絡みは編集が効く時にお願いします……あ、ほら、『巻き』らしいですよ」

アーサーのギリギリな発言を毎度の如く菊は丸く収め、ゲストを呼ぶコールに入る。

「それでは今回のゲストを紹介します。現在芸能界において幅広くご活躍なさっている、人気タレントのアルフレッド・F・ジョーンズさんです」

菊の司会は盛り上げには欠けるが、その落ち着いた進行は意外に気に入られている。それでゲストも割と心を落ち着けて入場するのだが、今回は違った。

「……やぁ! 俺こそが正義のヒーロー、アルフレッド・F・ジョーンズさ! テレビの前のみんな、君も今日からジョイナーース!!」

……圧倒的騒々しさ、それにスポットライト要らずの眩さにアーサーは呆れてしまう。菊もポカンとしていたが、気を取り直して話を進める。

「こうして会うのは初めてになりますが、聞きしに及ぶ新進気鋭振りですね、アルフレッドさん」

「そうかい? お褒めに預かり光栄なんだぞ」

初っ端からの敬語を抜いた応対に、一瞬スタジオ内が糸を張るような緊張状態になる。動じなかったのはカメラに映っているアイランドルのみで、そのお陰で画面の向こう側が荒々しく騒つく可能性は消えた。

アルフレッドのマネージャーはさぞかし胃を痛めていることだろうとむしろ菊は同情した。業界も中々ルールに厳しい。

「今年で19歳ということですが、何故この歳でのデビューを?」

「理由はあるけど……それだと、君は反対に遅めのデビューじゃないか」

「必ず聞かれるんですよね……まぁ、私の場合は巡り合わせといいますか、そんな感じです」

アーサーの方にちらりと目配せをして、菊が返す。アルフレッドはふぅん、と頷いて菊同様アーサーへ視線を向けた。視線がかち合い、息を呑むアーサーにアルフレッドはにっこりと笑いかけた。

「君と同じで、俺も……俺のデビューも、アーサーが発端だよ」

「アーサーさんが……?」

まさかここで持ち出すとは思わず、瞬く菊と眉を顰めるアーサー。そんな二人に、無邪気にアルフレッドは語りかけてきた。

「そう。俺が芸能界に入るのを決めたのも、追いかけると決めたのもアーサーさ!……俺のこと、まさか忘れたとは言わないよね」

アーサーの返答次第で今にも火が点きそうな現状に、菊の背中を冷や汗が伝う。参ったことに、今ここの手綱を握っているのは……否、手綱から放たれた暴れ馬はアルフレッドに相違ない。そしてその綱をまた握ろうと手を伸ばせるのは、アーサーだけだ。

「……どいつもこいつも、気が早いんじゃないのか。まだ前半だろ、この急展開どうしてくれるんだアル。ヒーローってのは焦らすのがステータスなんだろ」

「散々焦らしてきたから今なんじゃないか、アーサー。良かったよ、記憶喪失を疑うところだった」

「……手紙、送ってるだろうが」

アーサーが故意にやっているわけではないことを菊は承知しているが、関係をぼかすようなその掛け合いは視聴者側に誤解を生みかねない。そろそろ言葉を挟むべきか菊は頭を悩ませた。……少しだけその誤解は、何というか、菊にとって歓迎はできないのだ。

「俺はもう家を出てるし、それに君の手紙を読んだことは一度だってないぞ」

「だろうな、返してくれるのはいつもアイツだったし。何ならお前が俺の記憶喪失を疑うのは筋が通ってねぇだろ、忘れられたと思ってたのは……!」

「あ、アーサーさん、抑えて。えー……その、誤解なきように説明しますと、お二人は実は親戚で兄弟のように接していた時期があり……と、アーサーさんからお話を伺っておりまして……事実は小説よりも何とやらな事情があるんです」

菊は画面には写らないようこっそりとアーサーの背中を撫で、落ち着くように促す。深呼吸をしたアーサーはそんな菊に応えるよう平常通りに皮肉っぽく片頬を持ち上げた。

「……で、俺が何だってお前の理由になるんだよ」

「知りたい?」

アルフレッドの妙な雰囲気を感じ取り、アーサーはまずいと思った。これは、またトラブルを巻き起こそうとしている時の……イタズラを嬉々として行う瞬間の顔だ。

「……後で、スタジオ裏でなら聞いてやってもいいぜ」

「アーサーさん……校舎裏に呼び出す裏番長みたいになってますよ」

「だ、誰が元ヤンだ!!」

掛け合いをしつつ、二人して胸を撫で下ろす。何をやらかすか分からない相手だと心臓がいくらあっても保たない! 脳内で悲鳴をあげる二人とは相対して、アルフレッドは相貌を崩さなかった。

「さぁ、次のコーナーです……」

何とか軌道修正をし、コマーシャルを挟む時には二人とも一時の安堵でぐったりとしてしまった。

 

 

「いやぁ、今日の生放送は中々スリリングで楽しめたよ」

クスクスと笑い声をあげつつも、労うようにフランシスは紙コップの中で湯気を立てるコーヒーを菊へ差し出した。お礼を言ってそれを受け取りながら一息つく。

「……他人事だと思って、とまたアーサーさんに怒られますよ」

「それは面倒だ。この話は内密に」

楽屋内でアーサーは現在席を外していて、メイクを落とした途端出ていったものだからまったく騒がしいやつだとフランシスが呆れていた。戻ってくる気配がないためマネージャーのハワードが探しに行ったのだが、この様子だとまだ掛かりそうだ。

「久しぶりの再会だからね、積もる話でもあるんじゃない?」

「……まさか、本当にスタジオ裏に呼び出したとか……」

「うん、まぁ、アイツならあり得る」

ちょっと見てきます、と菊は早々に立ち上がり、さっさと扉の外側へ出ていってしまう。そんな気はしていたフランシスは景気良く見送り、扉が閉まると嘆息した。

「これはまた、一波乱来るな」

 

 

「……アルフレッド」

「さっきみたいにアルって呼んでくれないのかい」

確認のためだ、と返して目の前の青年をアーサーはじっと見つめた。雑誌やテレビで姿は目にしていたから新鮮だと思うことはないにしても、眼鏡を掛けたアルフレッドはアーサーの覚えている彼とは格段に印象が異なる。だからどう接していいのかが分からず、手探り状態で話す。さっきはカメラが回っていたためにアイドルの仮面を被れたが、こう面と向かい合ってしまうと途端に思考がまとまらなくなる。

「その……随分と会うのが久しぶりで、何から話せばいいのか分かんねぇんだけど……お前って、あんな搔きまわす芸風なのか」

「知ってるかいアーサー。ティーンの三年間はずっと長いんだぞ」

何が言いたいのかを測りかね、眉を顰めるアーサーに笑顔のままアルフレッドは話す。二人の間はたかが三、四歩で詰められる距離なのに、どこか壁を感じてしまう。

「その三年間に、君の知らない俺がいるってことさ」

「っ、やっぱり……怒ってる、のか」

「怒ってる? 心外だよ、俺はさっきからこんなに笑顔なのにさ」

アルフレッドはこてんと首を傾げ、それから話を続けた。笑いながら怒る趣味はないと言うアルフレッドは、本当にただ笑っているつもりらしかった。

「俺のデビューの理由が何で君なのか、それが知りたくて呼んだんだろ。話が早くて助かるよ……放送中であれ舞台裏であれ、君には必ず話すつもりだったから」

妙な言い回しにアーサーが身構える。嫌な予感がして首元にうっすらと冷や汗を掻く。

 

「君をオールライドプロダクションに引き戻す。それが俺の目標で、そのためにこのステージに登ったんだ」

2.

 

「わっ」

突如飛び出してきた影と危うくぶつかりそうになり、菊は小さく驚きの声を上げた。すみません、と謝る菊に対し、ぶつかってきた相手はキャップを深く被り直してまた駆け去っていってしまった。

「見たことのない顔でしたが……さて」

先ほどの人物は新人のスタッフかアルバイトか、と考えながらアーサーを探していた菊だったが、それもアーサーを目にすれば思考の隅に追いやられてしまう。身体を強張らせて話を聞いているアーサーの正面にはアルフレッドが立っていた。どう声をかけようか様子を見る菊の方へ、その時アーサーの声が届いてきた。

「俺は、何があっても戻ったりは、しない」

力を込めるあまりか震えている拳で、歯切れよくアーサーはアルフレッドにそう宣言している。不穏な空気を感じ取り、それ以上の会話を遮るために菊はすっと息を吸い込んだ。

「アーサーさん」

凛とした声はそれだけでもアーサーに届き、途端パッと視線をアルフレッドから菊へ移す。助かったとばかりにぎこちない笑みを浮かべてアーサーは身を引いた。

「じゃあな、アル。……事情は分かったが、それでも俺はここでやるって決めたんだ」

「それなら俺もだよ、アーサー。俺は君を引き戻すって決めてる。ヒーローが宣言した以上、絶対なんだぞ」

くるりと踵を返し、菊の隣をアルフレッドがすり抜けていく。その瞬間、微かに睨まれた気がしたのは気のせいではないはずだ。

「……やれやれ……」

「ご、ごめんな菊。今の会話聞こえてたか」

「いえ、私は今しがた来ましたので最後だけ……それで、アーサーさん」

菊は片腕でアーサーの手首を捕まえ、瞠目する翡翠色の瞳を捉える。アーサーがアクシスプロダクションから離れないであろうことは確かであっても、どうしてもアーサーが『ここにいる』ことを確かめずにはいられなかった。

「オールライドにいくことは、あり得ませんよね」

「もちろんだ。……そもそも、お前がいないんなら、俺は……」

唇を尖らせ、そっぽを向いてしまったアーサーの耳は赤い。素直になれないパートナーの本音が伝わり、強張っていた菊の表情が穏やかなものに変わる。

「それもそうですね。私だったら貴方がいない舞台に登るよりも引退を選びますから。何せ三十間近の遅咲きですし……」

「お、俺だって二十代後半だ!」

「ええ、そして今の貴方は私のデビューの歳でもあります」

「うぐっ」

益々慌てるアーサーがおかしくて菊は口元を綻ばせた。それもごく僅かな微笑だが、菊のポーカーフェイスを崩す原因は大抵がアーサーだ。最も、当の本人は無自覚かもしれないのだけれど。

 

 

「チャオ〜! 昨日の放送観たよ、大変だったみたいだねぇ」

次の日は毎月発刊の雑誌撮影の日で、出社したアイランドルを迎えたのはフェリシアーノだった。事務所から出している雑誌には既に『月刊マカロニ』があったが、もうひとつ菊とアーサーは別で『月刊シマグニ』の撮影がある。何故わざわざ分けたのかというと、それは利益の問題云々というよりも事務所の意向に寄るものだ。

「これじゃ費用も嵩むし、合同にした方がいいんじゃないか」

初めそのことを疑問に思い、アーサーがそう口にしたところ、ギルベルトとアントーニョ、それにルートまで抗議してきたのである。最も歳上の二人に比べてルートは控えめに「いや、それは……」と口に仕掛けただけなのだが。歳上二人の勢いが強かっただけに話の展開を見届ける側に回ったのだろう。

「ダメだ、あの二人はあの二人でコンセプトが違う!」

「天国だけ眺めていたい人のことも考えなあかんで」

「そうだ、お前らが楽園ならマカロニは天国特集」

「混ぜるの禁止なんよ」

これにはアーサーもよく分からないまま謝らずにはおれなかった。それくらい二人の熱気に圧倒されたのである。……と、いう事情もあって、ヴァルガス兄弟とは撮影時期は一緒こそすれ組まれる雑誌は異なるという裏事情があった。

 

所変わって、冒頭に戻る。

「大変どころじゃねぇよ、あんなに疲れたのはあの放送事故以来だ……」

「えへへ」

「えへへ、じゃねぇ。お前も反省しろバカ」

テレビには出さない様に徹底されているヴァルガス兄弟だが、一度だけ何を思ったか社長がアイランドルのラジオに件の二人を出したことがある。あれは大変でした……と菊も思わず遠い目になった。

「これからアイツとドラマの撮影もあると思うと胃が痛む……」

「昨日の発表は好感触でしたし、ひとまずは前向きに捉えましょう。何かあれば一緒に対策を考えますから」

「……ん、サンキュ」

アーサーは基本、SNSの反応は見ないタイプだ。菊はというと元々漫画やアニメにも関心があるタイプだったために、ネットが使える環境にまで生活が安定してからはこっそり情報収集用のアカウントを所得していたが、自分自身についてはつとめて周囲の反応を気にする性質ではなかった。しかし、アイランドルは人気ユニットなだけあって情報も色々と回ってくる。反応は千差万別だったが、ファンに楽しんでもらえたのならそれはアイドル冥利に尽きるというものだ。

適度な範囲で話半分に情報を受け取る能力が菊にはあるが、アーサーには少し不器用な面がある。今の距離を保っていた方が彼のためだろうと菊は考えている。

……最も、どちらも公開している他ツールのSNSはほぼ業務連絡と化していて華々しさに欠けていた。アイランドルのプライベートについてファンに想像の余地を与えているのは専らフランシスの投稿に寄るものが大きい。

「あ、次は移動みたい。また後で話そうね」

「はい、撮影頑張ってください」

フェリシアーノはぽやっとしていて頼り甲斐がないし、ロヴィーノもまた話を聞かない所があるがモデルの仕事になると表情の切り替えは上手かった。それが分かるだけ、未だ表情にぎごちなさがある菊は素直に二人を尊敬できた。そのため、撮影の仕事でリードしてくれるのはやはりモデルが主だったアーサーだ。持ちつ持たれつの関係は心地良いと感じる。さすがに今日は、アーサーも本調子ではないように見えたが。

「……」

まだ何かを隠している気配を察知しつつ、菊は何も聞かなかった。アーサーのしたいようにしてほしいからだ。

「次のオフ、私の家でゆっくりしませんか」

「な、何だよ藪から棒に」

「私が貴方とそうしたいんです。私の要望ですから、予定があればそちらを優先してくださいね」

「……行く」

菊の申し出に、小声でぽそりとアーサーは返答した。少しアーサーの表情が晴れた気がして、そのことに菊はそっと胸を撫で下ろした。

 

 

「ただいま」

マンションの自宅に戻ったアーサーは、誰もいない室内にそう音を放る。これは菊にあってからするようになった事の一つだ。その一言を呟くだけで家に帰ってきた気分を身体に落とし込む行為は、自分に合っているとアーサーは思う。

「……」

そうやって菊のことを考えれば和らぐ心地も、他の不安因子がどうしてもチラついてしまって中断されてしまう。アルフレッドと会ってからずっとこの調子で、マシューの忠告は真実正しかったのだと再認識する。

あの時、アルフレッドはアーサーを引き戻すと発言した。しかし直後アーサーはそれを否定し、戻ることは絶対にないと力強く返したのだ。そんなアーサーに揺らぎを与えたのは、アルフレッドの語った『事情』である。

 

「解決したって思ってるようだけど、君のお兄さんが何時また君に帰国命令を出すか分からない状況下にあるってこと、知ってる?」

「は……」

「当然じゃないか。今の家督はカークランド家の長男にある。いくら母親が君の肩を持ったとしても、かつての権限は既にないんだ。……まだ、あの人に認可されたわけじゃないんだろ」

アーサーはそこで息を詰まらせた。アルフレッドの言う通りで、『本当の決着』を先延ばしにしていたことは確かだったからだ。けれど疑問なのは、いくらカークランドの分家にジョーンズ家が属していようと、ここまで本家の折り入った事情に首を突っ込んでくるのは怪しい。

「……それは、俺の問題だろ。何でお前が口出ししてくるんだ」

「急かさないでよ、ここからが本題なんだからさ。そう……アーサー、君が今所属しているアクシスプロダクションだけど、君の家が動けば直ぐ潰せる程度の規模しかないだろ」

「あの事務所はそんなに容易くないぞ」

キッとアルフレッドの方を睨む。回りくどい言い方が気に食わないと思った。その反面、アルフレッドの豹変ぶりに未だ動揺している自分もいる。

「例えばの話だよ。アクシスには出来なくて、オールライドでは出来ること。……俺なら、君をずっと日本で活動させてあげられる」

「なに、言って」

「近いうちにオールライドプロダクションの全権限は俺に移行する。社長の息子ってだけじゃ着けない地位だから、そのために色々勉強してきたんだよ、褒めてくれたっていい」

「アルフレッド」

咎めるようなアーサーの声も聞かず、アルフレッドは徐々にアーサーへと迫った。身長も、体格さえもとっくにアーサーを抜いていることをそこで改めて自覚する。

「そうしたらもう、本家の言いなりにはならないつもりだ。準備は出来てる、それだけの力を手にしながら父が選ばなかった道を俺は行くよ」

まるで何かに憑かれたように熱弁を振るいながら、レンズ越しの瞳は寒気を覚えるほど冷静だ。息を潜めて言葉を待つアーサーに、アルフレッドはしっかりと宣言した。

「ジョーンズ家は、本家から独立するつもりでいる」

「……!」

その言葉に、少なからず驚いた。本家からの独立……それは、カークランド家からの援助を切ることを指す。七海を征したグローバル大企業のスポンサーを逃せば、相当の痛手である筈である。

「……分からない。そこまで損をして、得るものって何だ? 社員だって猛反対するだろ」

「得るものはあるよ。元々オールライドはもう、本家からの援助がなくても充分運営していける。むしろ指図を受けずに済むからあちらの懐古主義に合わす必要もなくなる」

懐古主義、という言葉をアーサーは口の中で転がした。カークランドをそんな風に揶揄する人間がいることが驚きだった。

「俺の家の、どこが懐古主義だって」

「君が一番それを感じていたんじゃないのかい。生まれ順で扱いに差が出るなんて、そんな風習はもう無くなるべきなんだ。なんでも保とうとする連中は全く頭が固くていけない」

「……っ」

アーサーの脳裏に、過去の情景がはっきりと浮かび上がってきた。それから耳鳴りと共に幼い兄達の失笑と、こちらを無感動に見つめる視線が重なる。

「……君も、本家にはうんざりしてるんだろう。オールライドに戻るんだったら、もう怯える必要もなくなるよ」

これ以上ないほど優しく、アルフレッドは低い声でアーサーに耳打ちした。少年期の彼とは違い、それはもう成長しきった大人の声色と相違ない。

しかし、アルフレッドの甘言がアーサーを支配することは出来なかった。振り向いたアーサーの背後に立つのは、昔日の孤独(ゆめ)でも逃避(うそ)でもないのだ。

それは、アーサー目掛けて懸命に駆けてくる、どうしようもなく愛しい人で……やがて隣に肩を並べ、一緒に歩いてくれる唯一ひとりの存在である。

「俺は、何があっても戻ったりは、しない」

声はまだ震えていたが、強い瞳でアーサーは告げた。どう揺さぶりに来ようと、そちらに行く気はないという事をそれで示す。アルフレッドがすうっと目を細める。緊張が辺りを包む。

 

「アーサーさん」

 

その時、張りつめた空間を解す凛とした声がアーサーを呼んだ。弾かれたようにアーサーは首を巡らせ、よく知る声のした方を見た。当然そこには菊がいて、心底ホッとする。

「じゃあな、アル。……事情は分かったが、それでも俺はここでやるって決めたんだ」

身を引きながらアーサーは補足する。今はただ一刻も早くここを離れたい。

「それなら俺もだよ、アーサー。俺は君を取り戻すって決めてる。ヒーローが宣言した以上、絶対なんだぞ」

その時もアーサーは、どうしてアルフレッドが自分にそこまで拘るのかが分からなかった。いきなり手を離した形になったことを、アーサーは今も気に病んでいる。手紙を快く受け入れてくれたのはマシューであって、アルフレッドではない。来訪も止められていた。だからまだ怒っているだろうことは覚悟していたのだが、アルフレッドの言動はどうも真の意図を掴みにくい。

……それにそうだ、アルフレッドはいつからヒーローに憧れるようになったんだっけ?

 

ピロン、と携帯が一度鳴って、そこでアーサーは今自分がどこにいるのかを思い出す。自宅の寝室で着替えが途中だったことに気付くと共に誰からのメールか差出人を確認する。

「……!」

運の悪いことに、珍しく長兄からの通達である。嫌な予感に冷や汗を流しつつ、気持ちを固めてメールを開いた。

「……嘘、だろ」

それは、簡潔としたメールだった。必要最低限の内容であるだけに、ストレートに頭を打ち付けてくる内容文。



 

『日本に用事が出来たついでにそちらのクリスマス・コンサートに母の意向で出席する。ホテルの手配をしておくように』






 

To be continued……▼

NANGOKUSHIKI

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