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1.

 

「盛り上がってるところ悪いけど」

呆れたようなフランシスの声がして、ふたりはハッと目が醒めた心地でそちらを振り返った。

「ここ、公衆の面前! しかも俺いるから!」

「じ、実にすみません」

人の通りこそないが、歩道でドラマを展開してしまったことに気付き菊とアーサーは揃って恥じ入った。繋いでいた手を離し、改めてフランシスの方に向き直る。

「それでアーサー、お前はその……菊くんだっけ……と一緒にいたいってことでいいの」

「あ、あぁ」

顎に指を添えて何か思案するようなフランシスに、アーサーはしどろもどろに頷く。フランシスは今更恥ずかしがっても遅いし、と言いたげにじっとり目を細め、それから何やら嬉しげにニヤリと笑みを浮かべた。

「いいんじゃない? 良かったね、トモダチできて。あ、どっちかというと今のはこいび……」

「う、うるせぇ! それ以上言ったら殺す! それに友達くらいいる!」

「はいはい人に視えない方のね」

青筋をたてるアーサーに、堪えた様子もなく揶揄いで返すフランシス。それは本来の関係性なのか、打てば響くようなやり取りは堂に入っていた。苦笑混じりにそれを眺めていた菊の方を、フランシスが視線を投げた。思わず気を引き締めると、ウィンクをひとつ投げられる。その頭にアーサーが手刀をおろす。

「痛ッ!! 何すんだよこの眉毛!?」

「本田に菌を飛ばすなヒゲ野郎」

「愛! 菌じゃなくて愛!!」

暴力反対と呻き、気を取り直してフランシスは話し始めた。

「それじゃあひとまず、今後の方針を話し合おう。俺に考えがあるんだ」

自信満々に語って、恐縮した風の菊に言葉を続ける。それは菊にとって大きな衝撃を与える発言だった。

「菊くんって……成人はしてるんだよね? アーサーより少し下くらいか。じゃあ、仕事してると思うんだけど、」

「ちょ、ちょっと待ってください、え? 」

咄嗟に話を制する。首を傾げている両者を見遣って、その絶望的な認識の差にようやく気付いて青褪めた。そうだ、フランシスの『くん』付けやら何やら、どこかおかしい気はしていたのだ。

「アーサーさんより歳上ですよ、私……」

アーサーとフランシスは、二人して目を丸くした。確かに年齢には触れてこなかったが、あんまりではないかとさすがの菊も思う。間を取り繕うようにアーサーが慌てて口を開いた。

「……ってことは、俺より一つ上とか」

「もっとです……」

「まさかとは思うけど、おにいさんと一緒とかないよね? 俺は26歳なんだけど……」

「そのまさかです」

日本人は若く見られるというが、アーサーがこれまで気付かなかったことに割とショックを受ける。彼の元からの気質なのかもしれないが、初めからくだけた話し方はそのせいもあったのだと知る。

「あはは、ごめんごめん、これからは菊って呼ぶね。……けど、そうなってくれば話が難しくなってくるかな……」

言いにくそうな顔をして、それから意を決した面持ちでフランシスは菊にこう持ちかけた。

「菊、仕事を辞める覚悟はある?」

「……と、いいますと」

「フランシス! 本田にも生活があるんだぞ、突然そんな……」

冷静に先を促した菊の代わりのようにアーサーが声を荒らげた。フランシスはそんなアーサーを一瞥し、真面目なトーンで語る。

「追いかけてまでお前を繋ぎ止めたのは菊だし、それにお前は応えただろアーサー。だったら、そのために払わないといけない対価も世の中にはあるのさ」

アーサーが黙り込む。対称的に菊は、そんなアーサーに向かって微笑んだ。心配はない、とそれで伝える。

「……といっても、何も無責任にただ辞めろって言ってるんじゃないよ。ツテがあるって話はしたよね」

先ほどの話だろうと頷く。フランシスは微笑を返し、腕時計に視線を下ろす。それじゃあ、と切り出して腕を組む。

「そろそろ移動しないとマズい。直ぐに辞めるのは土台無理な話だと思うから、この一ヶ月頑張ってみて。あ、生活費とかはコイツから差し引いて良いから」

コイツ、と人差し指でアーサーを指す。そんなことくらい分かってるとばかりにアーサーはフランシスの指をあらぬ方向へ曲げた。さっと腕を引っ込め、踵を返したフランシスはアーサーの首根っこを掴んで歩き始めた。

「オイ離せヒゲ!! 本田、維持費のことも任せてくれ」

無理矢理首を巡らせたアーサーの視線と菊の視線がかち合う。苦笑しつつ、菊はもう遠慮せずに頷いた。実を言えば、最悪屋敷を売り払ってももう良いだろうと菊は考えていた。アーサーを選んだ以上、住処を手放す覚悟さえあったのだ。それでも、アーサーの瞳にもまたあの家を守りたいという想いがあって、菊はそれに甘えることにした。

「それでは、また」

「あぁ、また……必ず!」

 

 

日本に残りたいというアーサーの申し出を、本家は意外にあっさり受け入れてきた。

フランシスが国際電話を掛けている間中気が気でなかったアーサーだが、フランシスから携帯を受け取り耳に当てる頃には知らずと背筋が伸びていた。電話の相手は、跡継ぎの長兄ではなくアーサーの母その人であった。父亡き後も女手でカークランド家を守りきり、優秀な兄たちを出した強い母。今は表舞台に顔を出すことはなくなったが、母への支持は未だに根強い。

アーサーは、母親と滅多に話したことがなかった。兄たち同様厳しい教育は母によるものだったが、それは一指導者の顔であり親としての彼女は放任主義なのだ。矛盾して聞こえるかもしれないが、実際習い事の時間以外の自由な時間に母に干渉された記憶はアーサーにはない。だから、正直に話せばアーサーは母親が苦手だ。何を考えているのかが分からないのだ。それは、裏を返せば母親から見たアーサーもそう見えているということなのだが。

相変わらずの厳しい口調で、電話越しの母は語った。自立している以上責任を放棄することは言語道断、話も聞かずに逃げ出すとはどういうつもりかと。これにアーサーは心からの反省を述べて謝った。本国に戻って頭を下げるのが筋なのだろうが、生憎と事後処理がまだ残っている。

 

帰国の件について、母親はあまり関わっていなかったことを明かした。持ち出したのは恐らく長兄であることと、訊けばもうそろそろ本家に戻ってもおかしくない時期であるため、社会勉強に本家の仕事を回すつもりだったと話したらしい。本国へ戻る手続きの途中でアーサー失踪の報せを知り当時は大変怒り心頭であったから、次に機会があれば当人に謝罪なさいとも告げられた。アーサーの胃がキリキリと痛む。

「お母様、俺」

ぐっと息を吸い込み、声が震えないように気をつける。言え、今なら言えるはずだ。ずっと本家には逆らえずに過ごしてきた。勝手に歩み寄ることさえも諦めていた。けれど、アーサーは思ったのだ。逃げ出して、戻ってきて、それでもこの手に掴んだものがあった。人種も、住んでいる世界も違う人とだって心は通う。心を塞いで端から何も受け入れないでいては、自分も他人も信じられない。家族との溝だって、アーサーが作り出したものだ。ならば、それを埋めるのだって、アーサーでなければならない。

「俺は、芸能界で頑張っていきたい。一緒にいたいって、言ってくれた人もいる。フランシスにも正直頼りきりだけど、俺は俺なりに、俺の道をいきたいんだ」

電話口の向こうで、母が静かに息を呑んだ気配がした。それから、そう、と囁くような返答が聞こえる。

それが貴方の導き出した答えなら、好きなようにしなさい。

アーサーは母の言葉に、堪えきれずに声を震わせながら頷いた。

「ありがとうございます……!」

ほんの微かに、ふっと微笑む母の気配を感じた。アーサーは母が笑った姿を一度も見たことがない。

……いつか、本国に戻ろう。

戻って、色んな話をしよう。母が笑ってくれるような思い出を、これから作っていこう……温かい胸の鼓動を感じながら、アーサーはそう心に誓った。


 

「なぁフランシス、お前は結構俺の母さんと話すよな? お前から見てどういう人なんだ」

電話が終わり、アーサーは肩の力を抜いてフランシスにそう尋ねた。訊かれたフランシスはというと何か言いにくそうな顔をして口籠り、視線を逸らした。

「あ、あー……そうだね、お前は怖い人ってイメージなんだろうけど、俺からしたら……」

咳払い。

「可愛い人だよ」

「……」

フランシスを見るアーサーの眼が冷え切っていく。許容年齢は広い方だということは知っていたが人の母親を何だと思っているんだと視線だけでなじる。

「いやいやいや、なんか勘違いしてない!? そもそも聞いてきたのそっちだろ!」

「属性過多のド変態ヒゲ野郎……」

「すごい罵倒出てきたねせめて統一しようよ、ねぇ! ッていうか、本当にそういうのじゃないから、何ていうか、お前に似てて……」

「シネ、近寄るな移る」

「何が!?」

それって前に言ってた菌と関係あるの、お前の罵りのレパートリーなんでいじめっ子の小学生みたいなのと重ねて抗議してくるフランシスに無視を決め込む。せっかくの良い雰囲気が台無しになってしまった。

 

 

責任を持ってここは抜ける、と所属していたオールライドプロダクションへ頭を下げると共にアーサーは辞表を出し、そこまできて不思議と身体は軽くなっていた。先行きもまだ知れたものではないのに、何だか浮き足立った気持ちでいる。一種の高揚感に身を浸していると、フランシスに早く車に乗れと急かされた。そういえば、フランシスはどこまで先導するつもりなのだろうかと途端に気になり出す。尋ねれば返ってくるであろう返答を予測してアーサーは訊かなかった。どうせ、小っ恥ずかしいことを言われるに決まっている。

 

「よし、着いた」

それから暫くして車を降りると、目の前にはショッピングモールが広がっていた。……とは言ってもかなり前に廃れてしまったのか、埃かぶったドレスを身に纏ったマネキンがディスプレイの前で律儀にポーズを取っている姿に物悲しさを覚える。

「あ、おい!」

そこに躊躇いもなく、電気の止まった自動ドアをこじ開けて入っていくフランシス。何のつもりだと焦るアーサーへ手招きをして、どうやら入るように促しているらしかった。フランシスの妙な行動に違和感を拭えないまま、仕方なく指示通り後に続く。

店内は何故か、殺風景ではあるもののそこまで寂れておらず、電気は落ちているが良く掃除されていた。もし誰かがわざわざ掃除をしているのならさぞ骨の折れることだろう。

停まったままのエスカレーターを登り、関係者用と書かれた扉の中を進む。一体ここに何の用が、と警戒しながらもフランシスに着いて歩く。ようやくひとつの扉の前で立ち止まったフランシスが、コンコンとおざなりに扉を叩いた。

「社長ー、連れてきたよー」

「はぁ……? 社長ってお前」

わけがわからずフランシスを小突く。しかしフランシスはただ目配せを返すのみだ。社長と呼びかけた割には緩すぎるその口調にもアーサーは呆れる。さすがのフランシスにも、公私の区別くらいはあったと思うのだが。

「お、入っていいってさ。開けるよ」

いいぞ、と厳格な声が中から聞こえて、躊躇なくフランシスがその扉を開ける。

 

「ケセセセセセセ!!!」

 

フランシスの手首を掴んでアーサーはそっと扉を閉めた。

「ちょ、何すんの坊ちゃん」

「どう見ても開けちゃいけない扉だったろ今の」

「アレくらい許容していかないとこれからやっていけないよ。ほら、入る!」

再度扉を開け放ったフランシスによって尻を蹴られ、ウワッと足を縺れさせながらに飛び込んだ。チクショウあのヒゲ後で覚えてろと舌打ちをして、アーサーは顔を上げた。そこで、円らな瞳をした小鳥と目が合う。

「よォ、俺を前にして逃げるなんざ随分とご挨拶だな! いくら俺が最恐の漢とはいえ……ン? いや、そうか、俺が強すぎるから恐れ慄いたんだな? そうだな? ケセセ! だったら仕方ねぇ!! 許す!!」

ピヨピヨと可愛らしく鳴く小鳥。であれば、今の口上はその下にいる派手な見た目をした男によるものだろうということを、アーサーは認めたくはなかった。というか、目を合わせたくなかった。

「……兄さん、もう少し大人な対応をしてくれ。それと気分が上がるとデスクに足を乗せる癖も治してくれないか。また新人を逃したくないんだったらもう少し社長らしくだな……」

デスクの横に立ち、くどくどと顳顬(こめかみ)を押さえながら注意を促している巨体の男。さっきフランシスに返答をしたのはこの男で間違いはないだろう。それにしても社長とは、もしかして目の前の奇人を指してるのだろうか。だとしたらものすごく帰りたい。

「小言なら後で聞くぜルッツ。よく聞けそこの。俺様はアクシスプロダクション代表取締役社長ギルベルト・バイルシュミット! 名乗る前に名乗ってやったぞざまーみろ!!」

「……俺はルートだ。細かいところは後で話すが、ここでカメラマンをしている。あー……思うところはあるだろうが、出来れば兄さんの話を聞いてやってほしい」

社長代わった方がいいんじゃないかと内心思いつつ、アーサーはため息の後渋々自己紹介をする。

「アーサー・カークランドだ。見たところもうヒゲからは話聞いてるのか? ……一応話すと、オールライドプロダクションのモデルだったが辞めてきた。なぁところで、ここって事務所で合ってるのか」

敢えて話の通じそうなルートへ声を掛ける。ルートは首肯し、それから視線をアーサーの後ろにいるフランシスの方へ向けた。

「おい、説明はどうしたんだ」

「え、してないよ? その方が面白いと思って。お陰で今、すっごい楽しい」

によによと笑いを堪えるような顔でフランシスが応える。ルートとアーサー、二人揃ってピキリと血管から音でもたてたかのように表情が険しくなる。

「ハァ、全くどいつもこいつも……! そうだ、ここが事務所だ。兄さん曰く」

「要塞だ!」

「……らしい。ちゃんとした施設は地下にある。カモフラージュする必要は特にないから兄さんの趣味だな」

ルートの言葉に続くように、オフィスチェアーに仰々しく腰掛けたギルベルトが口を開いた。

「男なら憧れるだろ、秘密基地。俺たちが何でエンターテイナーを育てると思う? それはな、この世をもっと面白くするためだ! なら先頭を行く俺様が楽しまねぇと嘘ってモンだろ! 」

人生楽しんだモン勝ちを地で行く男なのだろう、随分と屈託なく笑うやつだと少しだけ見方が変わった。で、と前のめりになってギルベルトはアーサーに問いかける。

「アーサー・カークランド。お前はウチで働く気はあるのか?」

紅い、燃えるような瞳がアーサーを貫く。見つめてみれば分かるが、ギルベルトという男は烈しい言動に比べて美青年の顔立ちをしている。おかしな話、その口元に浮かんだ獰猛な笑みこそがギルベルトに人間味を与えていた。

「俺は……」

「待て、アーサー」

フランシスに肩を叩かれ、言葉を止める。何だと振り返れば、扉を外からノックする音が聞こえてきた。

「連れてきたよぉ、開けてもいい〜?」

何とも間延びのした、気の抜けた声が掛かる。アーサーはそれに、何か引っ掛かりを覚えた。ルートとはいうとさっき返事した時とは打って変わって、叱るような声を飛ばす。

「遅い!! 何をしていた!」

「ヴェ、ヴェ〜〜、ごめんよルート。途中までの用事は上手くいってたんだけど、また迷子になっちゃってて」

「どうしたら迷うんだ……!?」

今にも頭を抱えそうな勢いで、ルートは、「いい、入れ」と続けた。そうして扉が開き、ぴょこりと髪の毛が跳ねている青年の後に続いて菊が現れる。その二人を見て、アーサーは目を丸くした。言いたいことがありすぎて何度も瞬きをする。

「ヴァルガス弟……! なんで、それに本田も……」

「ヴェ〜! やっぱりアーサーって会長のことだったんだね……お、お久しぶりであります!」

見ているこちらが力の抜けるヘニョっとした敬礼をする、気の弱そうな青年にアーサーは見覚えがあった。

フェリシアーノ・ヴァルガス……学生時代、数々の問題を起こしては当時生徒会長だったアーサーを悩ませた問題児だ。起こした不祥事といえば無断で家庭科室に忍び込みパスタを作り出したりそのパスタを屋上で食べようとして道中躓き不良グループに頭から被せて(一方的な)暴力沙汰に発展仕掛けたり女子生徒に所構わずちょっかいを掛けたり放課後に登校してきたりと選り取り見取り。挙げ句の果てに放課後にやってきた理由が、珍しい道を通って登校しようと思ったら迷って遅刻した、ときた。

成績は割と良い方で、普通にしていれば気の良い青年なのだが毎度台風の目になるのは何故かフェリシアーノだった。暴力沙汰寸前で仕方なくアーサーが間に割って入ったのも一度や二度ではない。

「確かにどこかでモデルをやってるとは聞いていたが、こんなところで……おい、本田を変な目に合わせてねぇだろうな」

「し、してないよぉ! 迷ったけど!」

ブンブンと激しく首を横に振るフェリシアーノ。疑い深くアーサーがそんなフェリシアーノを睨めつけていると、菊があの、と声を掛けた。

「彼は私をここまで送ってくれただけで、特に問題はありませんでしたよ」

「わぁ、庇ってくれた! 君って優しいねー!」

お礼とばかりに菊へ抱きつこうとするフェリシアーノを、菊はさっと腕で止めた。なんで、と首を傾げるフェリシアーノに、菊は「エ、ATフィールドです」とよく分からない返答をする。それにアーサーは自分でも気付かぬままほっとしつつ、菊が隣に並ぶのを待った。そしてまじまじとその姿を観察する。前髪は綺麗に梳かれており目元が見えていて、全体を見てもよく整っている。スッキリとしたその顔立ちには、あの雨の日にアーサーの動きを止めた理由が隠されている。

……まとめると、ハッとするほど正統派の凛々しい顔立ちが、一目見ても分かるようになっていた。それに戸惑いつつ、アーサーは尋ねる。

「なんで、お前も? 」

「詳しいところはよく……」

困惑した調子の菊に、その様子を黙って眺めていたギルベルトが口火を切った。

「ダンケ! フェリちゃん。さすが天使は良い仕事するぜ。おいフラン、お前の言ってた考えってこういうことか?」

「そういうことだね」

フン、なるほどなとギルベルトは笑みを引っ込めた。席を立ち、話についていけず横並びになって難しい顔になる菊とアーサーの前までくるとそれぞれの肩をがしりと掴んだ。

「お前、名前は」

「ほ、本田菊です」

「……菊に、アーサーか。よし!」

燃える眼をカッと開き、ギルベルトは人差し指を天井に向ける。釣られて頭上を仰ぐふたりに、高らかに宣言する。

 

「アーサー・カークランドに、本田菊。お前ら二人を、アクシスプロダクションからアイドルとしてデビューさせてやるぜ!」

 

ケセセセセセセ! !

独特な笑い声が室内にまたも反響する。アイドル。アーサーは、頭の中でそれを繰り返した。アイドル……? 菊は、呆然としてその言葉の意味を咀嚼する。

 

「アイドル……!?」

 

どうやら、とんでもない話がどこかで回転を始めてしまったらしい。動き出してしまったからには、きっと誰にも止められまい。

2.

 

「すまん、本田!」

契約書を渡すからと半ばギルベルトに連行される形でやってきた地下の真・事務所にて、菊の前でパン、と音の鳴るほどアーサーは手を合わせた。全身から反省と後悔を滲ませる。まさかフランシスが本田に仕事を辞めさせた理由がこんな事とは、アーサーには予測出来ていなかった。続けるとしてもモデル業だろうとばかり考えていたのだ。

「い、いいえ、アーサーさんが謝る事ではありませんよ。しかし私も正直、どうすればいいのやら……アイドルって歌ったり踊ったりの、あのアイドルですよね。20代後半の私に務まるのでしょうか……?」

こちらは全身から不安と心配を立ち昇らせており、アーサーよりもその闇は暗い。アイドルについて、実のところはアーサーの方が無知だった。それに、あのキラキラしたスポットが自分に合うとは到底思えない。

「おいフランシス、この話何かの冗談とかじゃねぇよな」

「社長はああいったら止まらない性質(たち)だからね〜本気だと思うよ」

「……ッ!」

芸能界を生きるためにはこの方法しかないのか。マジか。項垂れるアーサーと菊を、さすがに可哀想だと思ったのかフランシスは前向きに声を掛けた。

「大丈夫だって、意外に売れるかもよ? 金髪ヤンキーに黒髪優等生のセットは王道だし」

「どこの国の話だそれ……?」

「ココだけど」

に、ほ、ん。地面を足でリズム良く叩き、フランシスは眼を細めた。今度は菊が土下座でもしそうな勢いで謝り出す。アーサーはそれを必死になって止めた。

「それにおいヒゲ、さっきサラッと流したけどな、誰が金髪ヤンキーだ、誰が。俺のは地毛だしヤンキーでもねぇよ」

「あぁごめんね、元ヤンだったか」

「掘り下げるなバカぁ!」

その話に興味がそそられたのか菊が顔を上げる。珍しくその瞳が探究心で輝いている。

「その話良ければ詳しく」

「いいよ、坊ちゃんがいないところで、ね」

語尾にハートでも付きそうなふざけた口調でフランシスは言うとウィンクした。条件反射で殴りつけるアーサー。

「ねぇねぇ会長、ちょっといいかな」

その時、違う方向から声が掛かる。フェリシアーノの声だと直ぐに分かり振り返ると、まだ気後れしながらも彼は話した。

「俺、ここで兄ちゃんとモデルやってるってこと、知ってたっけ? 同じ事務所になるってことは、友達ってことだよね。だったらさ、ポージングのこととか教えてくれないかな」

「あ、あぁ……そんな大した技術ねぇけどな。けどお前、ヒゲとも知り合いなんだろ。コイツに聞いた方がいいんじゃねぇのか」

そこで、少し困った顔になってフェリシアーノはフランシスを見上げた。それにニッコリと笑顔を返すフランシス。

「フランシスにいちゃんのは、ちょっと無理があるかも……」

「え!? 今の振る流れだった……!?」

 

 

「あのアホ弟、俺より先に事務所行ってるとはどういう了見だちくしょー」

毒づきながら、ロヴィーノ・ヴァルガスは車の助手席から降りた。それに続いて、ロヴィーノよりもいくらか背の高い好々爺のような雰囲気を滲ませた青年も運転席から現れる。名を、アントーニョ・フェルナンデス・カリエドという。

「そういつまでも拗ねてると身体に悪いでロヴィーノ。ほな、親分と手ェ繋いで行こか」

「こういうことがあるからだ、ばかやろー! いい歳してそんな恥ずかしいことできるか!」

ロヴィーノは一気に捲したて、ぷりぷり怒りながら廃墟と化したショッピングモールの地下を目指す。


 

事務所はいつになく騒がしく、どうにも聞き覚えのないメンツの気配を感じて訝しく思いつつ扉を開いた。

「おいフェリシアーノ、誰か来て……って、ギャーー!?」

はた、とロヴィーノの視線がある一点で止まる。向けられた当の人物……アーサーは、少しだけ表情に緊張が混じったのみだ。

「あ、あ、あ……! アーサーさま……!?」

「……その呼び方やめろって何度も言っただろ、ロヴィーノ」

「失礼しました! アーサーさん!」

90度ピッタリに頭を下げ、内心ロヴィーノはちくしょーと呻いた。完全にロヴィーノの一方的な対抗心なのだが、アーサーはロヴィーノにとっての越えるべき存在であった。打倒アーサー!そう掲げていた旗が本人を目の前にしてバキリと音をたてて折れた。久しぶりに目にしたことで分かることなのだがやはり纏う雰囲気が常軌を逸しているのだ。

「アントン」

一方、ロヴィーノの後ろで顔を強張らせて立ち止まっているアントーニョにフランシスはさりげなく声を掛けた。

「ギル……社長がそこの二人と契約を結ぶって決めたよ。色々言いたいことはあると思うけど、ここは穏便によろしく」

「……まだ何も言うてへんやろ」

吐き捨てるようにそれだけを返し、アントーニョは社長室へさっさと歩き出した。あ、オイ、と困惑気味に溢して、ロヴィーノもその後ろを追いかけて廊下から姿を消した。フェリシアーノといえば、これから撮影があるからと呼びにきたルートを連れ立って事務所の外へ手を振りながら退散していった。

 

その微妙な空気を感じ取り、菊は首を傾げる。褐色の肌の青年に何やら耳打ちしていたフランシスのもどかしそうな表情の理由も、青年を見ようとしなかったアーサーの事情も、菊はまだ知らない。

 

 

「俺は多分、何処にいても迷惑が掛かる」

一時手渡された手元の契約書類を見下ろして、握りしめながらアーサーは嘆息した。既に深夜、アーサーの自宅に泊まることとなった菊は、その道中の車内で気遣わしげにその横顔を伺う。生憎と表情は見えにくく、タクシーの中であるため不用意な発言も憚れる。

「……一緒に悩みましょう。どちらにせよ、もう乗りかかった船なんですから」

ただそれだけ囁き返して、暗闇の中で苦笑した。微かに身動ぎをする気配が隣にはある。

「海に出た以上は進むか沈むか……進んだ方が断然いいはず、だよな……」

 

その日の内に、ふたりは方針を取り決めた。

 

 

「よし、ちゃんとユニット名まで考えてきたみてぇだな!」

それから3日後、書類を持って事務所を訪ねた菊とアーサーにギルベルトはご機嫌な様子で破顔した。

「実を言うと、この事務所設立時にアイドルユニットを輩出する案は初期段階で出てきてたんだ。フェリちゃんとお兄様をデビューさせるつもりだったが、そこはまぁ、人にも向き不向きってモンがある……俺は学んだぜ」

アクシスプロダクション自らが刊行している雑誌『マカロニ』は、看板モデルのフェリシアーノとロヴィーノが中心になっている。自社専属モデルに限定されているだけあってファンからは支持が根強い。それだけでなく、写真一枚一枚のレイアウトのセンスが良いことから一種の写真集としても評価されていた。じわじわと知名度と人気を上げてきているプロダクションではあるのだが、テレビへの出演はほぼ受けていないからか後一押し足りないでいた。その理由はというと、話せば一目瞭然であるようにヴァルガス兄弟はいかんせんマイペース過ぎるきらいがあるのだ。

贔屓目余りあるギルベルトさえ改め直すほどの審議の末、彼らは最終的に専属モデルとして落ち着いたというわけである。

「オールライドプロダクションは殆ど兼ね合いでのアイドルが多いからな。メインで活動してる奴はそういねぇ。まずは基礎レッスンをキッチリ教え込んでやるから、デビューはまだ先だが全部喰らっちまう勢いで人気出してけよ? 」

ギルベルトは如何にも愉快げに笑って、身を引き締める菊とアーサーに告げる。

「視える……視えるぜ……! 3年も経てばトップに立つ実力を備えたお前たちが! ウオー!! 燃えるぜー!!」

ギルベルトが暴れ出したところで、ガチャリと社長室の扉が開かれる。若干引き気味で事態に収集がつくのを待っていたアーサーは、急な物音に振り返る。そして現れたその人物に目を丸くした。

「ボンジュール、みんなのフランシスおにいさんだよ! あれ? また社長盛り上がってる感じ?」

「なんでまだいるんだよテメェ……仕事はどうした」

「え、とっくに辞めてきたけど」

ぱちぱちと瞬きをされ、こっちこそ驚きだとアーサーは太い眉を潜める。オールライドプロダクションの人気を五分は占めていたであろうアーサーとフランシスが辞めては今頃あちらはどうなっているのだろうと菊も気分が遠くなった。

「じゃあ何だ、ここでモデルでも……」

「いいや、もう表舞台に出る気はないよ」

聞き捨てならないとばかりに唖然とするアーサーに、フランシスはしたり顔でカミングアウトした。

「俺、ここの専属スタイリストとして働くことになったから。よろしくね」

「な……ッ、はぁ!? 本気で言ってるのかお前!?」

「もちろん。俺がどこの家出身だと思ってるの? いやぁ、おにいさん才能あり余り過ぎて自分が自分で恐ろしいよ……!」

フランスの大手ブランド社の子息として生まれだけ、その美的感覚は確かに優れている。とはいえ突然のフランシスの裏方宣言に動揺を禁じえない。きっと数々のファンが胸を痛めることだろう。

「呆れた奴」

「……」

きっとアーサーが切っ掛けに違いないと目星を付けつつ、菊は敢えてそれは口に出さず苦笑を浮かべた。

カチ、カチ、カチ。壁に掛かっている時計の針は、正しく時を進めている。

 

『速報!! アクシスプロダクション初のアイドルユニットを発表!?』

ポストから取り出して広げた新聞のエンタメ記事には、そう大きく見出しが躍っていた。丸いメガネの奥の瞳を更に丸くしてそれを何度も目で追っていたマシュー・ウィリアムズは、珍しくバタバタと騒がしく物音をたてながら家の中に駆け戻る。

「アル!聞いて、アーサーさんが……ッ!」

既にリビングでテレビを見つめている従兄弟に気がつき、マシューは口を噤んだ。朝刊をテーブルに置き、従兄弟の座っているソファの後ろから同じようにテレビを眺めた。

 

『アクシスプロダクションから公表された情報では、新ユニットの一人は数ヶ月前オールライドプロダクションから退社されたモデルのアーサー・カークランドさんであることが判明しており……』

 

そのユニット名は……と、テレビの中の女性アナウンサーはツラツラと語る。テロップに表示された言葉を、マシューは思わず声に出して読み上げた。

 

「『アイランドル』……」

 

従兄弟は突然ソファから立ち上がり、テレビに背を向けて先ほどの朝刊を持つと二階に続く階段へ足を掛けた。慌ててマシューはその背中に声をかけた。

「着替えるにはまだ早いんじゃない」

「……部屋に戻るだけだよ」

朝食は、とマシューが尋ねる前に彼は自室へ戻っていってしまった。親の都合上兄弟のように暮らしてきたその従兄弟のことを、マシューは未だ理解できない部分がある。

「いいよ、一人で食べるから」

ちょっとだけ唇を尖らせて、マシューはコンフレークの箱へ手をかけた。

 

 

「Found you!(みつけた)」

 

まだカーテンの閉まった暗い室内で、アルフレッド・F・ジョーンズは隠れんぼで隠れていた相手を見つけ出した時の無邪気さをもって呟いた。それから部屋の明かりをつけ、今年で16歳のアルフレッドの最近のトレードマークであるメガネを外す。

「けど、まだダメだ。まだ……」

朝刊を広げ、アーサーの顔の載った箇所をトントンと軽く叩いた。

「もっと実力がついてからじゃないと。うん、見積もって3年くらいかな」

そんな計算を口にして、手先で弄んでいたメガネを机に置くとアルフレッドはクローゼットを開け放った。ハンガーに掛かっている制服を取ってそれも無造作にベッドへ投げる。まだ真新しさの残るそれとは違い、クローゼットには殆ど古ぼけた道具が詰め込まれていた。チェス盤に積み木、テディベアと統一感のないそれらはどれも大事そうに収められている。

 

「待ってて、直ぐに追いつくから」

 

そういって、テディベアを顔の高さまで持ち上げるとその鼻先にキスを落とす。アルフレッドの瞳は、どこかゾッとするような光をもって鈍く光った。



 

To be continued……▼

NANGOKUSHIKI

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