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子犬のワルツ

 

(じじまゆ)


 

「わぁ、どれも美味しそうだねぇ」

ショーケースを屈みこんで覗きながら、フェリシアーノ君は幸せそうに目を和ませた。よほど楽しみにしていたのだろうと思って、ついつい頬が緩んでしまう。

行ってみたいケーキ屋さんがある……と、先日フェリシアーノ君は雑談中に切り出した。何でも撮影先の近くで気になるお店を見つけて、今度皆と行こうと思って覚えていたらしい。職業上時間が合いづらいことも相まってその約束が後ろ後ろになっていたのだが、少数の人数ではあるがついに叶ったこともあってか普段よりも割り増しでふわふわしている。花でも咲きそうな笑顔をフェリシアーノ君はこちらに向けるとゆるりと口を開いた。

「ね、二人はどれにする? 俺、決めきれなよ」

「お前はまたそれか……」

フェリシアーノ君に対して呆れ声を漏らしたのは、ルートさんだ。比較的女性客が多いからか先ほどから落ち着かない様子で、大きな身体を気にして少々気後れしているようだった。フェリシアーノ君もイタリア男子ともあって身長は高い方なのだが、甘やかな表情がそれを緩和させているのだろう。

「候補を出せ、一方を俺が買う」

「え、いいの? うーん、ふたつに絞るのも難しいなぁ……」

「……もういい、俺が勝手に頼む」

口調こそ厳しいけれど、ルートさんは驚くほど面倒見がいい。特にフェリシアーノ君には手を焼いているようで、そうはいっても呆れつつ手を貸さずにはおれない姿勢を見れば人一倍彼に甘いのがルートさんだと直ぐに分かる。

「あー……すまない、そこのシャルロットケーキをひとつと、それからキルシュトルテをひとつ。本田、お前はどうする」

「あ。はい、ええっと……」

しまった、思考が脱線し過ぎた。慌ててショーケースへ視線を滑らせ、ある一点に目が止まった。どのケーキもそれぞれ個性的な名前が並ぶ中、ふと見つけたシュトレンに添えられた真っ白な子犬の形をしたクリームがぽちくんを連想させた。それに、鍵盤に見立てて白砂糖と黒糖が交互に掛けられているのも洒落が効いている。

「『子犬のワルツ』……素敵な名前ですね、これをひとつお願いできますか」

礼儀として着けてきているマスクを下げて、店員の女性に敬意を持って微笑む。フェリシアーノ君の時点で気付いてはいたのだろう、店内で食べる意思を伝えればあまり目立たない奥まった席を案内してくれた。

「うわぁ、このビスキュイすっごく美味しい。ルート、よく俺の好み分かったね」

「反応が分かりやすいからな。……ほら、これも食べろ」

ルートさんの頼んだケーキは元々ドイツのお菓子らしい。切り分けられたサイズではあるがその威容は大したものでフェリシアーノ君も満足気だ。

「菊も食べなよ、どっちも美味しいよ」

「ありがとうございます」

大の男三人揃って……と思われるかもしれないけれど、これで結構楽しいのだ。美味しいスイーツのご相伴を預かれるのもそうだが、穏やかな昼下がりを友人と過ごせる日常が何よりも愛しい。今度作ってよ、とフェリシアーノ君がルートさんに無茶振りをしているところで、カランカランと心地良いベルの音が店内に鳴り響いた。扉の方へ目をやれば、息を切らした見知った金髪の青年がきょろきょろと辺りを見回している。サングラスを掛けているものの直ぐに誰か分かった。アーサーさん……声を掛けようと腰を上げ、公共の場であまりにも明け透け過ぎると躊躇したところでサングラスを外した翡翠色の瞳とかち合った。もごもごとアーサーさんのマスクがうごめく。離れているから聞こえないはずなのに、き、く、と発音した気がした。

「……」

私は口元が緩みそうになり、慌てて引き結んだ。席にまでやってきたアーサーさんは、マスクを外してしまうと口を開いた。

「悪ぃ、遅れた」

「大丈夫だよぉ、お疲れ様」

「仕事に遅れるコイツよりは断然問題無い、安心しろ」

そんなもんか、と頷くアーサーさんの髪の毛は急いできたからかいつも以上に乱れていて、マスクをしていたせいで頬も上気している。それからこちらを見つめて翡翠色の瞳をとろけさせて破顔するものだから、危うく抱き寄せてでもその表情を隠したくなってしまった。

「菊? どうかしたか」

「あ、いえ……お疲れ様です、注文は落ち着いてからにしましょうか」

隣に座るようソファに引き寄せ、ぴょんぴょん跳ねている髪先を指で梳く。アーサーさんは照れた様子で口元をまたもぞもぞとさせる。

「そうする……けど、この姿勢は結構恥ずかしいんだが」

これは失礼。さっと手を引っ込め、シュトレンをフォークで一口サイズに切るとアーサーさんに差し出した。

「どうぞ」

突然梳くのをやめてしまったからか名残り惜しそうにしていたアーサーさんは一度瞬くと、素直にシュトレンを口に運んだ。

「美味いな」

「そうでしょう。後、すごく可愛いんですよ……あ、注文する時に見てみてください」

「あぁ、そうする」

完全にアーサーさんに掛り切りだったことに思い至って、対面席に座る友人二人を振り返った。ルートさんはこっちが恥ずかしいとばかりに顔を赤くしていて、フェリシアーノ君は仲良いねぇと穏やかに笑っている。つられて私も赤面してしまう。三十路手前の年齢で周りが見えないほど相手に夢中になるなんて、いっそ穴があったら入りたい。

「ちょっと頼んでくる。ところで、ここの紅茶は美味いのか?」

「うん、俺は好きだよ。アーサーみたいに詳しいわけではないけど」

アーサーさんはケロリとしているが、少々無防備過ぎるのではなかろうかと若干心配になった。フェリシアーノ君に対して同じことを思っているのか、ルートさんも渋面が厳しくなったように見えた。それもフェリシアーノ君に笑顔を向けられれば早々になりを潜めたが。

 

 

「悪くなかったな」

二人と別れ、私と連れ立って歩きながらアーサーさんはそう口にした。ということは、あのお店が気に入ったということだ。

これからまた二人で仕事に向かう道すがら言葉を交わす。ユニットということもあって好きに一緒にいられるのは特権だと思う。また行きましょう、と何ともむず痒いやり取りが出来るのも幸せだ。

「菊」

「はい、なんです?」

揃って白い息を吐きながら、他愛もない会話を続ける。

「子犬のワルツは、子犬が自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回ってる様子を見て作曲したっていう説があるんだ」

「それは……大変可愛らしいですね」

アーサーさんに言われて、ぽちくんが回転している姿を想像する。短い尻尾だから、余計に掴まえられそうになくそれでも回り続ける様子が目に浮かぶ。手に汗握る愛らしさだ。

「子どもの頃、ピアノを習ってたことがあるんだ。当時はやらされてると思って弾いてたから、子犬のワルツもただ難しい曲だと思ってた」

小さな足をピンと伸ばしてペダルを踏むアーサーさんの憂鬱そうな表情は、何となくだけれど思い浮かぶ気がした。楽譜を追う瞳には、張り詰めた緊張が漂っていたのだろう。

「先生にもよく言われてたな、貴方の子犬はちっとも愛嬌が無い、まるで尻尾を追いかけるよう誰かに操られてるみたいだって」

感性で語る人だったから言うことの半分も理解できなかったが、その分表現には鋭い人だったとアーサーさんが話す。その口元には苦笑が滲んでいる。

「音って嘘が吐けないんだろうな。それで結局、ピアノは長く続かなかったんだ。今も何でか、鍵盤の冷たさは覚えてるのに弾き方はほとんど忘れてる」

きっとアーサーさんは、二度と自分では開くことのない鍵盤蓋を閉じる時にそこへ置いてきてしまったものが多くあったのだ。

「……悲しいことに、苦い記憶ほど残るものなんでしょうね」

「あぁ。自分のことなのに思うようにいかないことばっかりだ。……それでも」

ふっとアーサーさんは表情を緩め、私を見る。その視線の甘やかさで胸焼けを起こしそうだ。

「今なら、ちゃんとワルツが聴こえる気がするんだ。ピアノが弾けなくても、俺には俺自身がいる。この耳で聴いて、この口で歌って、この足で踊れる。気を張らなくたって音楽は届くって知った俺なら」

幼少期、彼はうまく呼吸が出来ていただろうか。彼の救いはどこにあったのだろうか。知り合う前のアーサーさんを覗く魔法の鏡など無いけれど、彼が欠片を落とす度に私は丁寧に拾っている。継ぎ接ぎだらけの鏡では全てを見通すことは不可能だ。けれど、私はそれを大切に持ち続ける。彼が見ていた世界を、誰よりも大事にしていたいのだ。それがどんなに砕けてしまっていても。

「今度の新曲のリクエスト、社長に請け合ってみましょうか」

「いいな、弾むような曲がいい」

笑い合いながら、私たちは歩いた。

 

人間、思うようにいかないことばかりだ。

けれど幸いを求めて回転を止めない。それが周りからは意味のないことに映ろうと、その中でいつか掴めるものがあると信じて踊り続ける。

 

尻尾を掴むことを諦めない子犬は、ちっともみっともなくなんかないのだ。


 

終.

NANGOKUSHIKI

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