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月の光

 

(フラ+アサ)

 

アーサー・カークランドは四兄弟の末弟である。三人の兄は優秀で知られ、パブリック・スクールでも常に成績優秀者として周囲から脚光を浴びていた。しかし、その家中でアーサーは問題児扱いを受けていた。良くも悪くもハッキリした性格で、何処でも良い顔をすることを嫌がり、いつも不機嫌そうな顔をやめなかった。社交性のある長男とは大違いだ、と周囲は落胆する。厳格な次男と違って我儘だ、と周囲は呆れる。愛嬌のある三男とも別人じゃないか、と周囲は驚愕した。

しかし、アーサーはそんな大人の評価を鼻で笑った。何も知らない癖に。長男がどれだけ残酷で、次男がどれだけ淡白で、三男がどれだけ意地悪か、知ろうともしない癖に。

家族には失望させてばかりだった。一切笑わない所為もあって、友達だっていない。家目当ての付き合いはアーサーだって願い下げだったから、特段欲しいとも思わなかった。段々素行も悪くなり、家族が無関心なことを良いことに夜遊びに興じた。しかしそれは直ぐに明らかにされるもので、十五歳になる頃に問題に上がった。

「日本に行きなさい」

当時アーサーの母は家督相続の件で忙しく、そんな慌ただしい中でアーサーを呼び出すとそう告げた。ただそれだけを命じられ、ついに追い出される時が来たかと思ってアーサーは皮肉じみた笑みを口端に浮かべた。

「……そこに縁者がいます。いいですか、空港に着いたらまず相手に連絡を取るんですよ。細かい話は後ほど追って話します」

「分かりました。支度をするのでもう下がります」

「アーサー」

アーサーは踵を返そうとして、母の声に振り向いた。母は時折、こうして呼び止めることがあった。そういう時は決まって母は迷いのある間の後に口を開く。

「……道中、気をつけなさい」

思わぬ所で無事を願われ、アーサーは瞬いた。こういう時どうすればいいのかがアーサーには分からず、必要最低限の返事を返すのが精一杯だった。

 

 

アーサー・カークランドはクソガキである。少なくとも、フランシスが持つアーサーへの印象はそんなものだった。十五歳で単身渡日とは不安だろうと心配してやったというのに、空港で会った時でさえ一度も視線を合わせてこなかった。彼と会うのはこれが初めてではないが、その時よりもずっと人間不信を拗らせているのかピクリとも表情が動かない。両耳のピアス穴も一つどころではなかった。しかしフランシスがアーサーをクソガキと認定した部分はそこではなく、足グセの悪さと口を開けば皮肉しか飛び出してこないところにある。

「お前さ……それ学校ではどうにかしなよ」

「あ? どうせ数ヶ月しかいないトコだろ」

「……あのねぇ……」

一応、アーサーは日本で言うところの中学三年生である。受験期に編入させるというのも如何なものかと思うが、日本に送らざるを得ないくらいに手の付け様のないクソガキに育ってしまったのだろう。日本語をすらすら喋れるところがまた小憎らしい。

「どうせ何処でも同じだ」

妙に諦めの良い少年だった。せっかくジャッドのような瞳を持って生まれたのに、輝くことを忘れたかのようにその翠はくすんでいた。

 

フランシスは放任主義で、だから自分も夜遅くなったり果てには帰って来なかったりすることを良いことにアーサーの夜遊びを黙認していた。ここでは外国人は大抵大人に映るのか補導されることもないようで、受験に差し障りがないよう巧く立ち回っているらしい。しかしある日、夜のまだ早い内にマンションへ帰ってきたフランシスはアーサーがお酒を呑んでいる場面に遭遇してしまった。

「……それ、どこから?」

「貰った」

「誰に」

「誰でもいいだろ」

億劫そうな表情で缶を煽ろうとするアーサーの手首をフランシスは掴んだ。フランシスの放任を感じ取っていたであろうアーサーは驚き、それから太い眉をぎゅっと顰めてフランシスを睨んだ。

「……何だよ」

「こういうのはさ、バレないようにやるもんでしょ。だからバレた時点で終わりなの」

アーサーから缶ビールを奪い、フランシスは諭すような口調で話した。それから片膝を着き、抗議しようとするアーサーの口を手のひらで塞ぐと真正面から視線を捉えた。

「いいか、これは歳上の役目なわけ。大人しく諦めろ」

この時フランシスもまだ十八歳であり未成年だったが、年齢では認められてなくともアーサーの保護者代理のようなものだ。だからそう強気に主張し、それからアーサーが暴れ出したらどうしようかと頭の片隅で思考した。しかし、そんなことは起こらず、アーサーは瞳をきょとんと丸くしたきり黙ってしまった。反抗する色はどこにも見当たらず、意外にも純粋な反応にフランシスは当惑する。

「……納得したのか?」

アーサーの口を塞いでいた手を退けて尋ねる。アーサーは迷うように下唇を噛んだ。

「そういう風に言われたことねぇから……ちょっと驚いただけだ」

それだけ言って、硬直しているフランシスをひとり残してアーサーは立ち上がり、自室へと戻っていった。フランシスの背後でバタンと扉が閉められる。

「なんだよ……」

肩の力を抜くために息を吐き、フランシスは前髪を掻き上げた。

まだ、ほんの十五歳のガキじゃないか。

 

 

「悪いな、俺もう帰るよ」

「なんだフランシス、今日は残らないのか」高校に通いながらモデルをしているフランシスはその日雑誌の撮影があった。常ならばこれからモデル仲間と遊びにいくところだが、この頃フランシスはきちんと家に帰っていた。アーサーが戻っている時もあればそうでない時もあったけれど、最近はアーサーも自宅にいることが多い。受験も近くなって、少しは夜遊びを控えてるのかもしれない。

「……何食いたい?」

そして、そういう時は決まって遅めの夕食を作ってあげた。アーサーは一度もまともなリクエストをしたことがなく、「何でもいい」が毎度の返答だった。腕前の良いフランシスの料理をどう思っているか知らないが、未だに残したことがないのを見ると悪くはないのかもしれない。

「……お前、学校で何してるの」

クリームパスタが乗った皿をテーブルに置いた後、フランシスはふと気になって尋ねた。こんな仏頂面で果たして友達ができるのだろうか。

「勉強」

「……大した優等生だな」

「バカにしてるだろ」

「いいや、褒めてる」

アーサーは舌打ちをし、出された食事を黙々と食べ始めた。会話はいつもこんな感じで打ち切られ、まともな応酬が成立したことはない。不器用なヤツだとフランシスは思う。そして、寂しい子どもだ。

「……どこ志望にしたわけ?」

「……」

答えが返ってくることはあまり期待せずに尋ねると、アーサーは不意に立ち上がって自室に退がった。そこまで会話が嫌いかとフランシスが呆れていると、何やらプリントを手にしたアーサーがリビングに戻ってきた。

「ん」

「……口で言えばいいのに」

思わずフランシスが笑うと、アーサーが眉を顰めて唇を尖らせた。怒ってるように見えるが照れているのだ、恐らくは。

「へぇ、俺んとこと同じか」

「別に、どこでも同じだろ」

生憎アーサーが入学する頃には既にフランシスは卒業しているが、何となく悪い気はしない。

「制服、試着していいぜ」

「お前のは女臭いから嫌だ」

「香水だバカ!」

やはり、アーサーはアーサーだった。けれど意地悪そうに笑うその顔が心底面白がっているようで、フランシスはそれ以上怒ることができなかった。

 

 

しかし、春の前には長い冬が往々としてあるものだ。その日、受験を前にして本腰を入れ始めたはずのアーサーが深夜を回っても帰ってこなかった。寒さも相まって肌を刺すような嫌な予感を覚え、フランシスは外出用のコートを羽織ると街へと急いだ。

夜こっそり遊べる場所ともなれば狭まってくるもので、数年前の自分を辿るように捜索場所を限定していく。

何やってるんだか、と思わないこともなかったが、本人の前で『歳上の責任』とやらを豪語した手前示してやりたかった。

居場所を粗探しする必要など、ないのだということくらい。

「痛ッ……」

「さ……つけろ……」

「……?」

路地裏の方から慌ただしい物音がして、フランシスは訝しげに眉を顰めた。聞こえてくるのは焦りを帯びた怒声ばかりで、アーサーの声は聞こえてこない。試しに物陰から覗き、それが正解だったことを悟る。少数とはいえ集団を相手取っているのは件のアーサーで、この場を圧倒しているのもまたアーサーだった。

「ア……!」

アーサー、と思わず呼びかけて、慌てて口を噤んだ。目の前のアーサーに捉われ口を抑えたフランシスの姿を誰も気にも止めない。

「クソガキ共……」

フランシスは準備運動よろしく手足を振ると、勢いよく駆け出した。突然の闖入者による右ストレートが、アーサーの背後の人物に叩き込まれる。呆気にとられているアーサーに、してやったりと口端を吊り上げた。

「世間の厳しさ、お兄さんが教えてやるよ」

 

 

「……!」

それから何名かを蹴散らしたところで微かなパトカーのサイレンが耳を掠め、フランシスはここぞとばかりにアーサーの手を取ると踵を返して一目散に駆け出した。

「帰るぞ」

「テメッ……! 離っ」

「バッカ退き際も美しく去らないとカッコつかないだろ! 後はお巡りさんがどうにかしてくれるって」

掴んだ手は当然のように剥がされたが、納得はしたのかアーサーも引き返すことはなく走る。マンション近くの小ぢんまりとした公園に着くと足を止め、フランシスは大きく息を吐き出した。人を殴った経験こそ多くはないというのに、少々荒い立ち回りをしてしまった。それも、あの場で拾って即退散しようものなら納得しそうにないアーサーのためだ。

「おい」

「なぁに」

「……悪かった」

「ふぅん? お前にしては素直じゃないの。それで、これからどうするわけ?」

罰が悪い顔でそっぽを向くアーサーの視線の先まで移動し、唇をひき結んでいるその表情をしっかり覗き込んでフランシスは尋ねた。

「……ワケは、聞かねぇんだな」

「事情なんて人それぞれでしょ。聞いてほしいなら聞いてあげるけど」

「いや、いい」

アーサーは小さく首を左右に振り、それからマンションの方向を見上げて口を開く。

「腹減った。何か食いたい」

「……あっそ」

ハイハイ分かりましたよお坊ちゃん、と頭を掻きながらフランシスは帰路へ向かって歩き出す。聞きたかったのは、そんな今直ぐにでも訪れるような「これから」の話ではなかったのだが、現時点でのアーサーが出した解答としては悪くはない。少なくとも、お腹が減ると家に帰りたいと思うようにはなったのだ。それならばまだ、彼の瞳に映る「ホーム」は暖かい。

でも、まだ足りない。居場所は複数あった方が生きやすさが増すものだ。高校受験も終わって、ひとまず落ち着いたら職場に連れていってみようかとフランシスは思案した。

「……中々売れそう」

「なんか言ったか」

「何作ろうか考えてただけですぅ」

月の光が夜道の石畳を静かに照らす。そういえばそんな曲があった。どこかもの寂しい、この少年の背中を浮かび上がらせるような。その手をいつか引くのは誰だろう。きっと自分ではない誰か。迎えが来るまでは面倒をみてやろうと思って、フランシスは苦笑した。

「全く、手間のかかる子猫ちゃんだこと」

声に出してみたら、迷いなく脛を蹴られた。少しは加減というものを覚えてほしい。

 

終.

NANGOKUSHIKI

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