香水
気障な台詞と派手なスーツを身に纏い、普段通りいやに目立つ様相で腐れ縁は会議室にやってきた。イギリスはわざと気付かないフリをして、スケジュール帳へおざなりに視線をやる。腐れ縁……フランスの方も、特にイギリスをからかうわけでもなくその後ろを通り過ぎた。ん、と微かな違和感を覚え、イギリスは息を吸う。隣国が隣の席に腰掛けるとその違和感は確固たるものになり、無意識に眉根を寄せる。違うのは、匂い、だ。フランスがいつも着けている仄かに甘い、どこか含みを持たせた香水とは別の、鼻につく香り。気取ったフランスにはお似合いの匂いだが、これでは嗅いだ相手が麻痺を起こしそうだ。
「おい、お前」
思わず呼びかけ、しかし腐れ縁の男はイギリスへ振り向かなかった。それどころかイギリスより遥かに仲の良い隣国、スペインと会話に華を咲かせている。話題が料理であるところ、遠回しに自分をからかっている……とイギリスは判断した。
「……フランス!」
声を張り上げて名を呼ぶと、散々もったいぶってからフランスは会話をやめ、イギリスに向き直った。
「あれ、呼んでたのって俺だったんだ。オイさんでもオマエさんでもないから反応できなかったんだよなぁ」
「……」
いちいちイギリスの神経を撫で回す男は、あろうことかお尻まで撫で回そうと腕を伸ばしてきたので容赦なくはたき落としてやった。痛い、と呻く腐れ縁にザマァみやがれと毒吐く。
「それで、極太眉毛さんが美しいお兄さんに何の御用?」
そこで一度言葉を詰まらせる。香水を変えたかどうかなんて、世間話程度で済む。フランスは聞かれれば待ってましたとばかりに必要以上の説明を施す男だ、そこからは聞き流した振りをして事情が分かればそれでいい。
……筈なのだが、何故だかうまく舌が回らない。この男のことだ、新しい恋人かそれに類する誰かから贈り物を受けたのかもしれない。その場合、聞きたくもないラブロマンスを長々と語られる危険性がある。それは嫌だ。何故かってそれは、イギリスはフランスが嫌いだからだ。嫌いな奴の幸福自慢ほど聞くに耐えない話題も早々ないだろう。
「セ……」
「せ?」
「……センスねぇな、お前」
なので、いつも通り否定から入ることとする。途端にフランスは肩頬を引くつかせ、僅かに震える声で返答した。
「…………あっ、そう」
返事はそれきり、フランスがまたそっぽを向く。一方イギリスは驚いた。常のフランスならば、ここでピーチクパーチク怒り出す筈である。これ程までに淡白な返しは予想していなかった為に呆然としてしまう。まさか、思わぬ具合で逆鱗に触れたのだろうか。
各国が集う大きな会議が始まり、イギリスの問題は未解決なまま進行していく。相変わらずイタリアは寝ているし、アメリカは騒音を立て、ドイツは怒鳴っている。会議が通常通り踊る中、イギリスとフランスの席だけ水を打ったように静かだ。ここまで騒々しいと誰もそれに気付いてはいない。そんな状況からフランスは不意にツゥッと指をテーブルに滑らせ、イギリスの目に止まる位置から文字を綴り出した。イギリスに向けたサービス精神など持ち合わせていない隣国が綴るのはもちろんフランス語だ。男が身動ぎするたび、痺れるような香りが鼻をくすぐる。
『この香水を選んだのは』
なんとか読み取ろうと知らず目を凝らすイギリスの視線を我が物にしてフランスの指は軽やかに滑る。
『お前だよ、イギリス』
「はっ!?」
意外な犯人を明かされ、思わず大声を上げる。今まで発言しなかった分その声は場違いに響き、場内の視線がイギリスに刺さった。それを隣で見ていたフランスは、もう耐えきれないとばかりに吹き出した。抱腹絶倒もかくやの大笑いに、ついにイギリス共々会議室から追い出される。
「……テメェのせいで!」
「ぶふっ、言いがかりやめてよ、そもそもはお前でしょ」
「いいや、お前のことだから朝からこの嫌がらせを考えてたに違いない!」
フランスは特に否定せず、ようやく笑いを収めると話し出した。
「パブを出た後だったかな、興が乗ってその辺のお店を回っただろ。その時にさ、酔ったお前が選んだ香水がこれ」
「……酔っ払いの言動で高い買い物をするやつがあるか!」
「そんなに高くなかったよ。珍しいこともあると思って買っちゃった。それをお前、せ、センスって……っ」
まだおかしいのか、フランスの語尾が震える。怒ったのではなく、ただ単に笑いを堪えていただけとは腹が立つ。
「いやぁ、でもほら、悪くないでしょ。センスに欠ける匂いを纏うお兄さんもまたセクシーで」
「誰がセクシーだ、下品の間違いだろ」
イギリスがそう応じると、フランスは今日一番いやらしい笑みを浮かべた。身の危険を感じて後ずさる。
「いいなそれ、ムラッときちゃった。ちょっとトイレまで付き合えよイギリス」
何のスイッチを押してしまったのか、お兄さんヅラはどこへやら欲望に忠実な要求が成された。会議が終わるまで後二時間もある。
痺れるほど甘い匂いを漂わせた男は恐らくいつもより過剰に自分に酔っている。
付き合いが長いだけにそれを察したイギリスは、その場から全速力で逃げ出したのだった。
end.