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ホーム・シアター

 

 

 それは、世界会議がイギリスの首都で行われる前の日のことだった。

イギリスの自宅に泊まる予定をたてていたアメリカは、スーツケースをガラガラと引きながら早めにその地に訪れていて、相変わらず行き届いた整備のなされた庭園の間を抜けてインターホンを押したのだ。イギリスで世界会議が行われる時、アメリカは決まって彼の家で厄介になっていたし、単に宿代わりという理由だけでなくアメリカなりの思惑があっての行動ではあったが、今までと変わらない行動だったはずだ。だから出迎えた元兄の、顰め面しいようで喜色の滲む表情をアメリカは思い浮かべて扉が開くのを待っていた。

そして、ギィ、と古臭く建てつけの悪い扉が軋んだ音をたてて開く。

「やぁ、イギリス! 全く、遅いじゃないか! ヒーローを扉の前で待たせるなんて非常識なんだぞ! 」

「……あめ、りか……? 」

普段通り明るい調子で挨拶代わりの批難を口にしたアメリカと反して、扉から顔を覗かせたイギリスの様子は通常の彼と異なるものだった。怪訝に思いアメリカは扉を腕で押すと広げた。つんのめって現れたイギリスは、一目で分かるほど痩せ細っている。そのままアメリカの胸元に倒れこんだのがその証拠だ。

「……どうして」

思わず絶句したアメリカの腕の中で、パッと顔を上げたイギリスの顔は青褪めている。

「ごめんな、アメリカ。せっかくスコーンを作ってやろうとしてたのに、さっき床にひっくり返しちゃって。それについ最近お前から貰ったティーカップも壊れ」

「イギリス! 落ち着くんだ、君どこかおかしいぞ……!」

一息に話そうとするイギリスの肩を揺すって目を醒させる。背中を慣れない手つきで撫でてやるとようやくイギリスは息を吐いた。

何かが変だ。イギリスの様子もだが、その発言も何処となく不安定だった。だって、アメリカは『つい最近』ティーカップを渡した覚えなんてない。

「体調のこと、なんで教えてくれなかったんだ? 先にいってくれてたら、俺は……」

何かしてやれたかも、と言おうとして口籠り、嘆息するとアメリカはイギリスの背を押すと家の中に入る。後ろ手で扉を閉め、抵抗を示さないイギリスを寝室のベッドに横たえた。

「とにかく、休んでいてくれ。体調が優れない人間をこき使う趣味はないからね……」

体調が優れない、という言葉をもう一度口の中で転がす。国である身からいえば、それはイギリス国の情勢でもって左右される疲労状態だ。しかし、そういう、国の風邪とされる類のものとはまた違う症状のように思える。

「……イギリス」

明日は会議もあるのだから、とひとまずアメリカは考えを保留にした。

 

 

焦げた臭いが鼻につき、アメリカは慌てて起き上がった。一瞬自分が何処にいるのかを忘れかけ、それから背中の痺れで一切を思い出した。様子のおかしいイギリスの面倒を診て、どうやら昨日は座ったまま寝てしまったらしい。ずり落ちた眼鏡をあげてイギリスの姿を探す。ベッドの上がもぬけの殻であるのを見てとるとアメリカは寝室の扉を開けて足早にリビングに向かう。キッチンからはもうもうと煙があがっており、その中で手慣れた手つきで換気をしているイギリスが目に入った。

「イギリス。君、もう体調は大丈夫なのかい」

呆れた風にそんなイギリスを見遣り、アメリカは嘆息した。こちらを振り返ったイギリスが、翠色の双眸でアメリカを捉える。

「なんだ、起きたのかアメリカ。今日は随分と早起きなんだな」

「早起きも何も、会議の日じゃないか。まぁ、遅れる日がないわけじゃないけどね」

今日は、という言葉に引っかかりを覚えながら返事をする。オーブンから得体の知れない料理を取り出している所は普段のイギリスと違いは見られないのだが。

「それに、この臭いじゃ流石に目が覚めちゃうんだぞ。火事でも起きたんじゃないかってね」

文句を言うアメリカにイギリスは少々ムッとした顔つきになる。唇を尖らせて何やらもごもごと言い訳をしているらしい。ようやく調子が戻ってきたのかとアメリカはそっと胸を撫で下ろした。

「あぁ、そういえばアメリカ。会議の後なんだが、時間あるか」

「特に予定はないぞ。何かあるのかい」

「いや……付き合ってほしいところがあるんだ」

そう唐突に切り出して、面倒なら別に、とそっぽを向いてイギリスは頬を掻く。その所作は紛れもなくイギリスのそれで、アメリカはつい笑う。

「なんだよ、笑うところないだろ」

「ごめんごめん、面白いなって思ってさ。……いいぞ、君に付き合おう」

そうか、と何処となく嬉しそうな顔をしてイギリスは頷いた。それからアメリカの方を見て、自身の鼻先をトントンと指先で軽く叩いた。

「なんのジェスチャーだい」

「鼻。眼鏡の跡が付いてる」

「…………」

黙るアメリカを、今度はイギリスが笑った。

 

……その何でもない朝のやり取りが、出来過ぎなあまりに不安定で、また不自然なことをアメリカはまだ気付かないでいた。

 

 

遊びに誘う時は、大体がアメリカから声を掛けることが多い。近くに気になる店があればカナダを誘ったし、時には日本に呼びかけた。しかし先約がある日に限って唐突に、フランスがアメリカの肩へ親しげに腕を回してあっけらかんと話しかけてきたのである。

「よぉアメリカ。ッたく、イギリスん家の会議はどうも神経すり減らしちゃうから、俺もうヘトヘト……それで、これから気晴らしに女の子と遊ぶつもりなんだけど、アメリカ一緒に行かない? 」

「悪いけど、そのイギリスと出掛ける予定があるからパス。他を当たるといいんだぞ」

「なぁに、おにいさんより陰険眉毛との口約束を優先するワケ」

いたずらに拗ねたフリをするフランスにアメリカは違和感を抱く。気まぐれを装ってはいるが、普段ならばもうこの時点でフランスなら身を引いているはずだ。

「……しつこいぞ、フランス。何か裏でもあるんだろう」

「あ、ヒドい。全くアイツみたいな口振りしてさ、悪いところばっかり影響受けちゃって……」

鋭い眼光でアメリカが見遣ると、おどけたような返事の後フランスは一瞬で表情を引き締めて声を低めた。

「悪いことはいわない、今日のところは俺にしといた方がいい。じゃないと、アメリカ」

そこで、背後に気配。

「お前、呪われるぞ」

誰に、とアメリカが問い返す前に、フランスの身体が不意にアメリカから剥がされる。痛い、と途端いつもの調子で喚くフランスの後ろ、首根っこを掴んだままに不機嫌そうな顔をしたイギリスが立っていた。

「本人の前で陰口とは良い度胸してるな、髭野郎」

「痛い痛い、離せって! だって俺と遊んだ方が絶対楽しいし! 」

「うるせぇ、出遅れたお前が悪い」

ケッ、と毒突き、皺一つないフランスのスーツへ靴跡を残さんばかりにイギリスは蹴り上げた。呻き声と共にスーツへの憂いにかフランスは若干涙目だ。嘘だろ、これオーダースーツなのに。アメリカも少し気の毒に思ったが、毎回恒例ともなると口出しする気も起きない。ふとイギリスと視線がかち合い、それからイギリスは腕時計をトントンと叩いて合図を送ってきた。一旦家に戻ろうと言外に伝えていると分かり、アメリカは肩を竦めた後に頷いた。

 

 

お前、呪われるぞ。

フランスが言い放ったあの言葉が冗談や負け惜しみであるとしたら、それほど気にかける必要性はないはずだ。もし真剣な訴えだったのだとしても、今更誰かから呪いを受けたとて縛られるアメリカではない。その『誰か』が例えイギリスであったとしても、きっと。それでも何かしら引っかかりを覚えるのは、他でもないフランスが眉間に皺を寄せてまで伝えてきたことだからだろう。フランスはイギリスに縁深い。ケンカばかりの二人だが、何千年単位で関わってきた仲なだけお互いの異変には殊更目敏いのだ。

目的地に向かう電車の中で、アメリカはそっとイギリスの横顔を窺う。短く切られた金色、その毛先の跳ね具合も、ほったらかしの太い眉毛も、引き結ばれた気難しげな口元だって普段と何ら変わりはないはずだ。昨日には青白かった頬も普段の色を取り戻している。……そう、見た目に異常はない。ならば、その内側———

「どうかしたのか、アメリカ」

ぶっきらぼうな調子に過保護だった頃の名残りを匂わせて、イギリスに顔を覗かれる。ウワッ、と思わず仰け反り、車窓にガンと頭をぶつけた。何やってるんだ、バカ。呆れた声が近くでする。段々と紅潮していく顔を見られないように片手で目隠しをした。剥がそうともがくイギリスだったが、力では圧倒的にアメリカに負けているためビクともしない。

「空気を読みなよ、イギリス」

「なッ、お前にだけは言われたくねぇよバカぁ! 」

同じであるはずだ。何度も疑心暗鬼に陥りながら、アメリカは元兄を信じたかった。お人好しの抜けない彼の性格を、そしてその、不器用な在り方を。

 

 

「……なに、今更観光案内? 」

そうして辿り着いた場所は、イギリス国で知名度の高い大きな時計台のビック・ベン…………をより高い位置から一望できる高層ビルの最上階だった。それだったらロンドン市内、会議後に直で向かった方がまだ早かった。一度電車で帰宅した理由が掴めないまま危なげない足取りで歩くイギリスの後を追う。

「イギリス、屋上には立ち入れないんじゃないのかい」

何処から拝借したのか分からない鍵の束をチャリチャリと鳴らし、イギリスが屋上への扉を解錠する。怪訝そうな顔をするアメリカに、イギリスは笑いかけた。暗いせいもあってその表情の複雑なニュアンスを読み取れない。

「スリルある方が好きなんじゃないのか。ヒーロー気取り」

「は……? 」

息を呑む。挑発されたのだと気付き、扉の外へ飛び出していったイギリスに慌てて続く。アメリカがスリリングな方を好むのだとしたら、イギリスはその逆、慎重な道を選ぶような男だ。それがこんな風にアメリカを揶揄するなんて、普段通りならあり得ない話だ。

「イギリス! 」

ヒュウ、と耳元で風が通り抜ける。天気は曇り、高層ビルなだけあって空気は地面よりも薄い。柵だって、ないのだ。そこをイギリスは迷いなく突き進んでいく。背中に冷や汗が滑り落ちた。厭な、とても厭な予感がする。

「……ッ、イギリス! 止まるんだ、止まれ! 」

心臓が逸り、切迫する状況にアメリカは怒鳴り声をあげた。だっておかしい。こんなのは、彼らしくない。霧けぶるロンドン、彼を彼たらしめる象徴たる風景が、イギリスを覆い隠す。……奪われる。ついにアメリカは走り、屋上の最果てに向かうイギリスの手を取ろうともがいた。

ああ何ということか、イギリスは正常に戻ったわけではなかったのだ!むしろ昨日に異常を察しておくべきで、それが最後のイギリスへの救済措置に違いなかった。アメリカじゃイギリスを救えない。いつだって溢れんばかりにおもちゃを抱えた腕からは、本当の宝物を取りこぼしてしまう。

「アメリカ、」

掴もうとした矢先、また視界が眩んで彼の腕を取らえ損ねる。瞠目するアメリカの耳朶に、ハッキリとイギリスの音が吹き込まれる。

 

「さよなら。お前の負けだ」

 

トン、と。

軽い音がして、それから一切の聴覚をアメリカは喪った。目の前にあった陰影は跡形もなく消え失せ、霧が晴れた瞬間に総ての情報がアメリカの脳内に飛び込んできた。

蕩けるような翡翠色、それから風切り音、誰かの悲鳴、悲鳴、悲鳴、違う、飛んでない。ここから飛んだのは彼じゃない、俺の知る青い鳥なんかじゃない!

ふらり、と後ろ向きに倒れる。外れかけていた眼鏡がその拍子にコンクリートの床へ落ち、カシャンと音を立てた。

「—————」

ヒュウ、と音がした。今度は風の音ではなく、紛れもないアメリカの喉から漏れたものだ。

「…………んで……」

茫洋とした面持ちで、アメリカは唸った。

「なんで…………ッ! 」

返事をするものは、いない。

 

 

「あぁ、アメリカ。……来るの、遅かったな」

白い病室の中、たくさんもの人間に囲まれ忙しなく口々に責められている状況にも関わらずケロリとイギリスはそうアメリカに声を掛けてきた。まるで今しがた起きたことが無かったことのように。

全身に怒気を巡らせて、余裕など微塵もないアメリカはブレーキ無しにイギリスを殴りつけた。点滴がブチブチと音をたてて外れ、包帯だらけの身体が宙に放り出されること暫し。イギリスの身体が壁に叩きつけられ凄まじい破壊音が生まれた。直ぐ様アメリカはイギリスの部下たちによって抑えられ、イギリスは補助の手を振り払い立ち上がる。そのボロボロの姿にアメリカは怒号をぶつけた。

「ふざけるな!! 国家だぞ!? アンタ、自分が何しでかしたのか分かってるのか!!? 」

個室中に反響する爆発的な叫びにもイギリスは怯まない。それどころか、ゾッとするほどの無表情で小さく口を開けた。その動作がなければ、人形に見えるほどヒトとしての生物性が欠けていた。

「すまなかった」

ただ、それだけ。それきり謝罪の他に何もなく、あまりのことに硬直したアメリカをやってきた医師たちが追い出しにかかる。アメリカは知っている。あの包帯の下は、もう既に完治に向かっているということを。ならば今直ぐこちらに引き寄せ、もう二度とあんな真似をしないよう何処か厳重な場所に閉じ込めてやった方が身のためだ。

「イギリス、イギリス、だめだ、イギリス! 彼をこちらに、アレは俺が管理しないと、」

 

「おい、これはどういうことなんだ? 」

 

錯乱しかかるアメリカに呼吸を思い出させたのは、アメリカの腕を引っ張ったその温度だった。フランス。どうにか口だけを動かして、音にならない音で存在を確かめる。

「…………アイツ、また……」

その視線で察したのか、フランスの表情が歪む。ぴったりと閉ざされてしまった個室のドアを厳しい顔で睨んだ。

「だから、こうなる前にって……バカ野郎が……」

ハァ、とため息を吐き、動悸の治らないアメリカをいっそ憐れむような気配を滲ませて見遣る。

「事故が起きたって聞いてな……イギリスの部下に呼ばれてきて、ほらやっぱりって、な。俺にしとけって言った意味、分かっただろ」

フランスもまた混乱しているのか、整理のつかない言葉を羅列する。こめかみを押さえる仕草は頭痛をおさえているようだ。

「たまに気が狂うんだ、アイツ。別に珍しいことじゃない、数千年単位で国をやっていたら、時たまズレるヤツも出てくるんだよ」

アメリカ含め世界各国の擬人達は、人の見た目をしていながらその実は国家であるため人間と時間の進み方が異なる。それに国ある限り不老不死でもあるせいか、ある程度保たれていた自我が不意に崩れる国家も中には出てくるのだ。しかしそれが永遠に続くということはなく、ある時唐突に立ち直る。それが彼らのヒトと交わることのない所以、異点に他ならない。

「だからアイツも直に戻るさ。それに、アイツは中でも立ち直りが早いから。最も古傷は癒えないところ、意地がそうさせるんだろうけどな……」

もしやと思ってはいたがよりにもよってこのタイミングで、とフランスは嘆息する。世界会議は何日間かに渡って行われるのだ。

「……アメリカ。お前も休め」

「そんな、わけには」

「いいから。イギリスの監視でもしてろ、アイツは簡単に人の眼をすり抜けるからな」

ググッ、と皮を握りしめる音がするほど指先に力がこもる。あんなイギリスを、もう二度と目にしたくはなかった。

「……いいか、さっきも言ったがよくあることなんだ。あんまり思い詰めるなよ。お前までイカれるぞ」

心配気なフランスの忠告に、アメリカはぎこちなく笑みを返した。曰く、自分は大丈夫だと。

 

 

大混乱を起こしたこともあって、イギリスを自宅に戻すことを部下たちは大いに渋った。面倒を診るのがイギリスを殴り飛ばしたアメリカであったから尚のことである。それをアメリカは何とかヒトの手にあまる問題なのだと主張し、口手八丁で言い含めた結果、まだ警戒しながらもイギリスが自宅に戻る手筈になった。部下から車を借りて道を走りながら、助手席に座るイギリスはぼんやりと外の景色を見つめているばかりで話しかけてくることはなかった。

 

「花が枯れている」

「……花? 」

車から降りた矢先、荷物を抱えているところでイギリスから声が掛かる。何の話だと庭先を見れば、そこには変わらず薔薇咲き誇る庭園が広がっていた。幻覚作用でも起きているのかと嘆息し、それで、とアメリカは尋ねる。

「……それで、何で枯れてるの」

「数日水をやっていない。喉が渇いたって、泣いてる……」

「俺がやっておくから、君はとにかく部屋で休みなよ。疲れてるだろ」

足を止めているイギリスの背をグイグイと押して、先に進める。この状態じゃ薔薇の棘で指を差しかねないために、庭弄りなんて任せられるはずもない。

「お前、花の手入れの仕方なんて知らないだろ」

「ちょっとは知ってるさ。教えたの、君だろ」

キョトンとした顔でイギリスがアメリカを見た。あの日以来初めて目が合った気がして、アメリカの碧い瞳が揺れる。

「……そうだったっけな」

ふっと、イギリスからまた光が消えた。風前の灯、あまりにも弱々しい明かり。

そうだよ、という言葉ひとつ言うために、喉を振り絞った。お願いだから光れ、光れよと念じながら。

 

「……俺にも妖精とやらが見えればいいのに」

庭先でふと呟く。国のいる家ともなれば、この家自体の時が時間軸の外側にある存在だ。だからそもそもここにある花々に、『土に還る』過程など無いのだ。真実の永久花を眺めながら、信じてこなかったイギリスの友へ呼びかけた。およそアメリカは目に見えるものしか信じない性質で、現実主義的な価値観を持っている。無いものに縋るほど心苦しかった。

「ねぇ君達、主人の時計はどうやら狂ってしまったようだけど。これが初めてじゃないんだろう、目を醒させる方法を教えてくれないかい」

しゃがみ込むアメリカの眼前で、美しい薔薇の乙女達はさざめいた。芳しい匂いがたちまちに漂う。もちろん返答など、返ってくるわけがない。

 

 

悪夢を見た。

イギリスが必ずアメリカの前で死ぬ夢を。

華やかな街並みが真下に広がる高所からのダイブで、人の行き交う道中で自身に向かって発砲して、年代物の劔で心臓をくり抜いて、焼かれて溺れて潰れて薬で毒で何度も、何度も何度も何度も何度もなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども、イギリスは死んだ。

そうして必ずといって、アメリカはイギリスを救い出すことは叶わないのだ。声にならない声で絶叫した、血を吐くほどにもがいた、喉も涙も枯らして手を伸ばし続けた。それでも届かない、この指先はイギリスを捉えることなど出来ない。……そんな悪い夢を、擦り切れたフィルムで再生された三文芝居を、座り心地の悪い上映席から観せられた気分のままにハッと目覚める。

起き上がればそこにイギリスがいた。目元に隈をつけてスースーと寝息をたてている。

「……イギリス」

あれはただの悪い夢だ。

起きたことでも、起きることでもない。

自分よりも大きかった身体に手を伸ばし、力任せに引き寄せて抱き締める。くぐもった嗚咽を漏らしてここにある温度を確認する。

 

「アメリカ」

 

声が、聞こえた。自身の腕の中で、微睡む素振りも見せずに確固たる声が内側から響く。さっきまでだらんと垂れていた腕がアメリカの背中に手を回し、やがて抱き締め返してきた。身体が硬直する。

「ダメじゃないか、アメリカ」

兄のように、母のように柔らかく叱咤する声がとぶ。アメリカの頭へ回された手は、ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜてきた。

「お前の中、今俺でいっぱいになってる。俺から威勢良く独立したのに、随分と甘いやつ」

クク、と喉を鳴らしてイギリスは笑う。まるで魔法のようだ。その声で、指先で、アメリカを簡単に捉えて離さない。あぁ、だから捕まえられてばかりで捕まえられないのだろう。

「お前が可哀想だよアメリカ。一振りの悪夢で壊れかけるなんて、随分呪いが効いてるようだ」

反射で身体を離す。そうして信じられないという心地でイギリスの顔を見つめる。あの悪夢が意図された仕掛けなら、冗談なんかじゃ済まされない、最も性質の悪い大人の悪戯だ。

「試すようなことをして悪かったな。俺にとってお前が一番可愛いんだ。だから本当は、負けてほしくなかった」

慈愛のこもった翡翠色が細められる。労わるような眼差しをアメリカに向け、絵本の中の悪い魔女が如く口元に弧を形作る。

「でも心配しないでいい、俺が恋しいんだろう、アメリカ。だったらそれを受け入れろ。俺の永遠になるんだ」

俺だけを見ていればいい、これから、ずっと。国の垣根を越えて、何者も捩じ伏せて。

……それは魔女の呪いだった。イギリスは狂っている。分かっているのだ、強大な悪徳のフリをして、目の前の男が許されたがっていることくらい。だからこれは悪夢の続き。彼が正気に戻るまで続く、彼のためのモノクロ映画だ。

「……大した嘘吐きだね、君は」

自身も騙しているのだろうイギリスは、訳が分からないとばかりに小首を傾げた。確かに、その仕草は愛らしい。嫌になるほど、好きだった。こうまで拗れた情愛を更におかしな方向に捻じ曲げようとしているのは、イギリスの方なのだからもう仕方がない。

「永遠を裏切るのは、どうせ君なんだろう、イギリス」

ベッドの上にイギリスと縺れるようにして倒れる。指に指を絡ませて、シーツごと握りしめる。文字通りいっぱいになってやろう、と思った。そして、イギリスをも自分でいっぱいにしてやるのだ。数百年の憧れを汚すことに、最早何の抵抗も生まれない。

「愛してるよ、イギリス」

だから、さよなら。

記憶の中で、愛だけのあの人が微笑んだ。その表情が溶けていく、ガラスのように砕けていく。それでいい、さよなら、さよなら。

まだ泣いているのか、とこの世の誰よりも憎らしく、そして愛しい男がアメリカの頬へ手を伸ばす。夜が明けたばかりの室内はまだ暗い。

アメリカの信じてきた憧憬も、イギリスが守ろうとしたひとりの弟も、もうどこにもいないのだ。


 

NANGOKUSHIKI

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